おとといの夜、おそらくHSCと思われる小4の息子がふと話してくれた話がとても印象的だった。
勇気を持って自分から、友だちに遊びの中に入れてと言えた日のことを話してくれたのだ。
3年生の途中くらいまで、学校の休み時間、息子はだいたい一人でぼんやり立っているか、あるいは、クラスの女の子が遊んでいる側に立っているか、女の子たちに誘ってもらってなんとなく一緒に遊んでいるかという状態だった。
校庭の隅をただ歩くといった「散歩」をしている時期も長かった。
最初休み時間に何をしているか聞いたら「散歩」と答えられた時は、胸がギュっとなった。
どうやら、その「散歩」をしている時期のある日、遊びに入れてもらおうと声を思い切って声をかけたのだけれど、「ダメ」と断られてしまったそうなのだ。
そしてとても悲しくて辛くて、どうしようもないので、またそれから「散歩」の日々がしばらく続いたそうだ。
そして、またある日、この子だったら、きっと仲間に入れてくれるだろうと思えるクラスメイトを見つけたようで、もう一回、もう一回だけ勇気を出して声をかけてみようと思って声をかけたら「いいよ」と言ってくれて、その日から遊べるようになったらしかった。
「『遊ぼう』って言ったの?」
「ううん。『何してるの?』って聞いてから、あんまり遊びたくないものでもとりあえず『入れて』って言った」
そう息子が言っていた。
そうか……。
そう言えば、その頃「クラスメイト」はいても「友だち」はいないとか言っていたな。
「いいよ」と言ってくれた「クラスメイト」はその瞬間から「友だち」になったのだろうか?
一時期、明らかに、子どもたちが、鬼ごっこをしている、あるいはドッチボールをしていると見てわかるのに、息子が「何してるの?」ってその子たちに聞いていたことをがあったことを思い出した。
それは、息子なりに、話しかけやすい言葉を考えたんだなって思ったら、なんだかジーンとしてきた。
多分最初から「遊ぼう」って言って「ダメ」って断れるよりも「何してるの?」と聞いた時のニュアンスで、もしも拒否されそうだったら、「ふーん」とか言って去ることができるからなのかもしれないなと思った。
今は、毎週のように、友だちが遊びに我が家にきている。
誘うことも、誘われることもあるらしい。
断られても、「用事があるんだって」「他の人と遊ぶんだって」と言ってそれほどショックを受けている様子も見られない。
あの「散歩」の時期、散歩をしながら、息子なりにいろいろなことを考えていたんだなって思うと感慨深い。
親としては、当時もっと友だちと遊んでほしいって思っていたけれど、無理強いしたり、問い詰めたりしなくてよかった。
だけど、私がある程度冷静でいられたのは、遊ぶわけではないけれど、なんとなく息子が側にいても大丈夫な女の子たちがいてくれたからだと思う。
子育ての悩みは時間とともになくなっていくって聞いた。
本当にその通りだなって思う。
一年前に悩んでいた時と今の悩みはまた違うということは、来年の今頃の悩みはまた別のものなのだろう。
今の悩みや問題についても、親として、関わりすぎず、しかし無関心でもなく、どうにかサポートできないものかと思案中だ。
今さらながら、1年くらい前に、勇気を出した息子に「頑張ったね」と言いたいし、「いいよ」と言ってくれた友だちや、息子との微妙な距離感を見守ってくれた女の子たちに「ありがとう」と言いたい。