涙と笑顔のあいだ

HSC(ひといちばい敏感な子)中1ひとりっ子男子の子育てを通し成長させてもらいながら、日常のモヤモヤの純度を上げるべく綴る40代主婦のブログ

ママ友の発言に戸惑ってしまったこと

今日、ママ友数人と会って、うまく言葉が出てこないことがあった。

戸惑ってしまったのだ。

それは

「中学校とかで、『うちは、怒鳴る叱り方をしていないので、うちの子は怒鳴るような叱り方をされると困ります。だから、そういった指導はやめてください』っていう保護者がいるらしいんだよ」

という話が出た時のことだった。

 

そして、学校の先生が

「本当に冗談じゃないですよ」

って愚痴ってたらしく、そのママは、その通りだと思ったって言ってたのだ。

「家庭は家庭かもしれないけれど、それを学校の先生にも求めるのは間違っていると思うの。だって、社会に出ればいろんな人がいるわけで、それを学ぶのが学校じゃない?」

そこに他にも2人ママがいて、2人ともその通りだと頷いていたし、うちは、旦那が怒鳴るから、それで子どもたちは鍛えられていると笑っている人もいた。

 

昨日、『ママ怒らないで。不機嫌なしつけの連鎖がおよぼす病』を読んだばかりで、その話を聞いたので、とても複雑な気持ちになった。

 

本当は

「怒鳴るという叱り方はよくないと私は思う」

って言いたかったのだけど、言葉が喉に詰まってしまった。

HSC(ひといちばい敏感な子)とかそうじゃないとかに関係なく、「怒鳴る」という指導はよくないと思ったのだけど、「社会にはいろんな人がいる」って言われるとうまく返せない自分がいる。

 

確かに、社会にはいろんな人がいる。

 

でも一方で「怒鳴る」「大きな声を出される」ことが苦手な人もいる。

 

やはり、学校に、配慮を求めるのは、保護者のわがままだと捉えられるのだろうか……。

 

今、小4の息子は学校に行き渋ることなく行っているけれど、これから高学年になって、連帯責任で怒鳴られるかもしれないし、中学校に行って部活などで理不尽なことに遭遇するかもしれない。

 

どこまで守ってあげられるかわからない。

そもそも親が守るっていう発想が過保護なのかな?

見守るってことが正解?

 

最近、友だちとのコミュニケーションで、息子自身も口が悪くなっている。

浴びせる言葉も、浴びせられる言葉もお互いが乱暴な時に、「言い方に気をつけなよ」と注意はするけれど、何が正解なのかわからない。

 

周りとうまくやってほしいけれど、「怒鳴る」とかのコミュニケーションはとって欲しくなくて、その気持ちを伝えたい。

でもどんなスタンスで、どこまで介入していけばいいのかもよくわからない。

 

いろんな人のいろんな意見に、それぞれ理由がある。

 

好きな人の意見が自分のそれと違っていると不安にもなる。

 

「意見が違うからって、その人のことが嫌いだというわけではない」

って言葉が思い出される。

 

それに、確固たる自分の意見というものがあるような、ないような……。

 

しっかりと考えながら生きてきたつもりだったけれど、なんとなく流されて生きてきたような気もする。

 

ひとりひとりが尊重される社会って、実はそう簡単なものではないのかな……。

 

希望を感じる時もあれば、胸が詰まる時もあって、自分の弱さや覚悟のなさにがっかりもするけれど、こうして悩んでいる時間もきっと無駄ではないのだと思いたい。