涙と笑顔のあいだ

HSC(ひといちばい敏感な子)中1ひとりっ子男子の子育てを通し成長させてもらいながら、日常のモヤモヤの純度を上げるべく綴る40代主婦のブログ

HSC書籍制作プロジェクト! モヤモヤの言語化がすごい!

こちらのブログで何度か書いているけれど、私は今「HSC書籍制作プロジェクト」に参画している。

 

20名近くいるメンバーの多くが、共同作業が必要な3つの章に分かれて作業を進めている。

 

中には、その3つのどれかのslackのグループに参加しながらも、主には他の章のリライトを担当されている方や全体的なデザインや構成をみてくださる方もいるし、それ以外にも広報的なことをされているからもいて、忙しい中本当に皆それぞれが「チカラ」を出し合って書籍を作っていることに、私がさらに「チカラ」をもらっている毎日だ。

 

今は、大まかに言えば、今まで集めてきた取材内容、情報、知識などを書籍という形にするために各章まとめに入っている状態だ。

 

そこで気づいたことがあるので、今日はそれについて書きたいと思う。

それは「モヤモヤの言語化」についてだ。

 

私はまずは第1章のリライト作業をさせてもらったのだけれど、それを終えた後第3章の座談会グループに参加させてもらった。

第1章は「HSCの基礎知識」のリライトだった。

自分なりにどうにかわかりやすく書き直して提出したつもりだったのだけれど、メンバーに再度確認してもらったところ、「こうしたらもっとわかりやすくなるのではないか?」という意見がたくさん出てとてもびっくりした。

あー! 確かに! と思うことが多く、なぜ自分は気がつかなかったんだろう? と落ち込みながらも、気がついてくれて、書籍として世に出る前に修正することができて本当によかったと感謝した。

 

力不足を痛感しながらも、さらに微力ながらも参加したかったので、第3章の座談会の記事作成をさせてもらう機会をいただいた。

2時間以上に及ぶ、参加者が6名の座談会の記事。

まずは、数名に分かれてテープ起こしをした。共有された音声を聴きながら、文字に起こしていくのだけれど、これをしてまたびっくりした。

人が喋ってる時の文法って意外に正確でないんだと感じた。

それは、今回の参加者が特別そうであるということではなく、おそらく話し言葉というのは概してそういうものなんだと改めて気づいた。

そのテープ起こしをしたままの状態だと言葉がおかしかったので、今度は文章として成り立つように整え始めた。

この作業を私が担当した。

プロジェクトの主催者であるkokokakuさんに相談したところ、とても有意義な座談会だったのでなるべく全部載せたいし、雰囲気も伝えたいという希望だったので、とりあえずひとりひとりの話し言葉の癖も残しつつまとめてみようということになった。

しかし、出来上がったものを見ると、今度はあまりにもボリュームが多いと感じたので削ることになった。

その作業は、以前ブログにも書いたけれど、本当に辛い作業だった。

しかしその多くは、kokokakuさんが「ご自分の伝えたいこと」に沿って頑張って削ってくれたので、大分エッセンスがまとまってきた。

その辺りで、「やはり、話し言葉ではなく、書き言葉の方がわかりやすいのでは?」という多くのメンバーの声があり、私も含め数名でその書き換え作業を行った。

そして、最後の仕上げは、インタビューライターをされているメンバーのおひとりが整えてくださり、今現在の形に落ち着いたのだ。

本当に素晴らしいリライトだった!

 

これから座談会の参加者の方に整合性をチェックしていただくことになり、その後また修正はされると思うけれど、今の段階で読みやすい形になったのは、本当にメンバーの方の「気づきと細やかな作業の賜物」だと思う。

 

私は、このプロジェクトに参加して、自分のことを今まで「細やかなタイプ」だとか「よく考えている人」とある程度思っていたことが恥ずかしくなった。

そのくらい他のメンバーの細やかさ、思慮の深さが素晴らしいと感じている。

 

・そこまでは考えていなかった。

・自分なりに考えてみたけれど、そこまでは至らなかった。

・その発想はなかった。

そんな風に一言で言うと、私の力不足の時もあったけれど、それ以外に以下のようなものもあった。

 

・なんだか不完全だという認識はあったのだけれど、何が足りないのかわからなかった。けれども、「そうなんだよ! それだ!」というようなしっくりくる言語化をしてくれた。

・そう、それ! 気がついていたんだけれど、そこまではこだわらなくていいかな? ってなぜかスルーしてた。でも、やはりこだわった方が断然いい!

 

まさに「モヤモヤの言語化」だった!

 

こんな私も「モヤモヤの言語化がうまい!」と友だちに言ってもらったことが実はあって、「本当に? 嬉しいな」なんて、「モヤモヤの言語化」の意味がよくわからないながらも喜んでいたけれど、ああ! これか! この感覚か! って思ったら、そりゃすごいよなって思った。

自分の中の「モヤモヤ」がはっきりと言葉にされるとスッキリする。

 

しかしそれと同時に、「モヤモヤの言語化」の検定がもしもあったら、私はまだ初級だとも感じた。

できることなら中級、上級とレベルアップできたらいいなと思った。

 

私たちが作っているのは「HSC」の本だけれど、「HSC」(ひといちばい敏感な子)は成長して「HSP」(ひといちばい敏感な人)になる。

 

私自身は、自分がHSPなのかどうかは正直わからなくて、そんなに鈍感ではない方だと思うけれど、いうほど敏感ではないような気もするのだ。

だけど、HSCとかHSPの気質はすごい素晴らしいと思うし、憧れる。

周りにもそういった気質の仲間も多い。

 

「細やかさ」「思慮深さ」など繊細が故に持っている長所が、もっと社会に受け入れられて花開いていったらいいなと、心から思っている。

 

そう言えば、息子の「モヤモヤの言語化」も小さい時から鋭かった!

 

ただ気をつけたいのは、ひとりひとり「モヤモヤ」の正体も違うから、やたらめったら言語化し、枠にはめるのも違うんだよな。

でも違うからこそ、しっくりくるって貴重であり感動を呼ぶのだな、きっと。