今日は、学校公開だった。
1時間目から4時間目まで、授業を参観できる日。
息子の先生は、今年度から赴任したベテランの先生なんだけど、息子を含めた児童たちとあまりうまくコニュニケーションが取れてなかったり、まあ、いろんな要因が絡み合って、夏休み明けくらいから顕著に先生と児童たちの関係性が悪化していった。
これが、学級崩壊っていうやつなのかもしれないと思いながらも、息子のクラスが「学級崩壊」とラベリングされることに正直戸惑いもあった。
異変に気がついた保護者が団結したり、学校が、ある程度対策を取ってくれて、保護者会も開かれたりして、それぞれのモヤモヤした思いも内に秘めながらも、今は一定の落ち着きを取り戻しているようにも感じる。
でも、その落ち着きは脆くも思え、かといって、大人が積極的に中に入って何かをするわけにも行かず、ただ見守るばかりの日々でもある。
先生だけが悪いわけでもなく、かといって、児童たちひとりひとりは話してみるととても素直ないい子たちばかりで、でも、やはり、何かの要因で、落ち着きは儚く壊れることもあるんだと肌で感じる。
息子はというと、一番関係性が悪化している時に、「授業にならないんだ」「落ち着かないんだ」と言いながらも、仲の良い子たちとの交流の楽しさの方が優っていたせいか、「学校に行きたくない」とは言わなかった。
だから、それでいいとするのは、違うかもしれないと思いつつも、かといって、「本当は嫌なんじゃないの?」なんて誘導するのも違うなと思っていた。
しかし、いざ何か嫌なことがあったと話してくれた時は
「そうか、それは嫌だったね。でも、先生も、人間だから、いいところもそうでないところもあるから、できるだけいいところを見て付き合おう」
なんて教科書に載っているようなことしか言えない私でもあった。
だけど、今日は、そんな私でも黙っていられなかった出来事があった。
とは言え、私はその授業を、最初から教室の中で参観していたわけではなかった。
転校生のPTA会費を集めたりと、動き回った後、その授業の3分の2が終わったくらいに教室に入った。
国語の授業で、各班で、解答を話し合い、誰が何を発表するのか決めて、班員全員で前に出て、班ごとに順番に発表するというものだった。
その順番は、別に番号順というわけではなく、側から見ると、先生がランダムに当てているように見えた。
結果、息子たちの5班は、班が7つあるうちの6番目に呼ばれて、前に出て発表した。
息子たちの班が呼ばれて、前に出るときに、息子は、机にしまった椅子を蹴っていた。発表するプリントも机に置き忘れるほど興奮していたようだった。
ふてくされるように出て行った息子を見て、私は、何をそんなに怒っているのかわからなかったし、たとえ、怒っているからと言って、椅子を蹴ることはやめてほしいなとすら思ってしまっていた。
前に出た息子は、どうやら、班の中で一番最初に発表をする係のようだった。
しかし、前につくと、イライラした態度のまま、今度は、目に涙をいっぱいためていた。
あれ? どうしたんだろう?
それでも、息子なりに、話し始めようとしたのだけれど、今度は、嗚咽が始まってしまって、声が出てこない。
「どうしたの? 喧嘩でもした?」
担任の先生は、息子が目の前で泣いていることに驚いて、班の仲間に聞いていた。
「いいえ、違います」
「じゃあどうしたの?」
「多分、なかなか当てられなくて嫌だったんだと思います。7班の後、5班って言ってたのに……」
班の仲間がそう代弁してくれた。
それを聞いて、私は、ああそうか、先生が約束を守らなかったことが嫌だったんだなって、その涙を理解した。しかし、
「ああ、待てなかったのか。泣かないで」
先生はそう言ったのだ。
いや、そうじゃないよ。
いや、そんなことで、息子は泣かない。
別に、順番が、後になったからって泣くようなことは考えにくい。
「待てなかったから」じゃなくて、約束を守ってもらえなくて、自分が大切にされなかったことが悔しかったし、悲しかったんだよ、先生!
私は、そうすぐにでも言いに行きたかった。
でも、それでも、どうにかこうにか、声は小さかったけれど、発表した、息子の頑張りを讃えたかったから、言葉は飲み込んだ。
席に帰ってきた息子は、感情を抑えきれずに、机にうつ伏せて泣いていた。
理由を確認したかったけれど、それを今すると、余計に感情を抑えきれなくなると思い、家に帰ってからにしようとした。
とりあえず、今は見守ろう。
息子も頑張ってるのだから、私も、ここは、一つ飲み込んで……。
多分、そのとき、私も、傷ついていたんだと思う。
それに、何が正しくて間違っているのかも、よくわからなくなっていた。
しかし、その授業が終わって、廊下に出たときに、他のママと話をしていたら、これは、母親として、先生に、息子が泣いた理由を説明してもいいんじゃないか? という思いが湧いてきた。
どうせわかってもらえない。
後、2ヶ月くらいでクラス替えだから、このまま、でいいや。
そんな気持ちもあったけれど、やはり、誤解されて、ただ息子が、順番を待てない、わがままな子だと思わせたままではなんか違うと思った。
ちょっと迷って、帰りに息子に、なんで泣いたのかを確認したら、私の想像と一緒だったので、
「大丈夫? お母さん、先生にその話しようか?」
と言ってみた。
息子は
「大丈夫。もういい」
と言った。
でも、ああ、これは、息子のためというよりは、私が納得していないんだなって思ったから、
「わかった。でも、やっぱり、お母さんが話したいから、話してくるね」
と言った。
そうしたら、息子は、頷いた。
息子は先に帰ってもらって、全員が帰った教室で待っていた。
すると、子どもたちを下駄箱まで送って行った担任の先生が、帰ってきた。
だから、私は、いつもお世話になっています……と言いながら、「息子が泣いていた理由は、単に順番が遅くなって待てなかったからではなく、『次』という約束が果たされなかったということへの怒りと悲しみだったと思うので、それだけはわかってほしい」ということを伝えた。
そしてその時、私が話す前に、帰りに、先生から息子に話しかけてくれたらしく、謝ってくれて、息子も一応納得したらしいことを知った。
それは素直にありがたかった。
先生の話だと、座っている状態のとき、息子の隣の席の女の子が泣いていたのが気になっていたらしかった。
だから、息子の班の発表は「少し落ち着いてからにしよう」って心で決めてたようなのだ。
そう言われたらそれも一理ある。
しかし、問題は、先生が言った約束が蔑ろにされたことが事実かどうかだ。
先生はそのことをどう思っているのだろうか?
「私は、外にいて聞いていないのですが、7班の後に5班、ということは、先生はおっしゃったんですか?」
と聞いてみたら
「言ったんでしょうね? 本人(息子のこと)が言うんだから」
と、本当に記憶がないように言っていたので、私の中で何かスイッチが入ってしまった。
自分が興奮しているのを感じた。
言わずにはいられなかった。
だけど、少々の冷静さは持ち合わせていたから、言葉は選んだ。
「授業はライブだから、もちろん、進行の変更があるのは当然だと思うのですが、息子は、見通しを立てて安心するタイプであり、ましてや、人前で発表することを、ひといちばい緊張するタイプなんですね。だから、急に理由もわからず、変更されると、不安になってしまうと思うんです。変更する場合は、できる限り、変更することとその理由について、その場で説明してもらえると納得できると思うのでありがたいです。このクラスにも、話の整合性を気にする子が結構いると思うので、先生がみんなのためを思って変えることについても、全体的に、ひとこと理由を説明してもらえたら、納得して安心する子が多いような気が私はします。先生が一生懸命対応してくださっているのはわかっています! そのことには感謝しています! 今後ともよろしくお願いします」
息子を含め、このクラスの子達は、しっかりした子が多いと感じている。
だからこそ、大人の話を聞き、納得して、ことを進めたいと思っている子が多いんだと思う。
子どもだから……
そんな理由で、理由も伝えず、大人の都合でいろいろ決めたり、変更する大人を子どもたちは信用できなくなってしまったのかもしれないな。
先生には、先生の事情があって、考えがあって、進めているのはわかる。
でも、もう少し、話をしてもらいたいな。
そう思いながら、自分は、それができているだろうか? と気になった。
できるだけ、息子のことを子ども扱いしないで、一人の人間として接してきたつもりだけれど……。
学校に子どもを預けていると、小さなことで、文句とか意見とかを保護者が言わない方がいいんじゃないかという思いが強くなる。
お世話になっているんだから……。
先生も人間だから……。
できるだけ本人の口から言わせよう……。
でも時には、うるさく思われることを気にしないで、敬意を払いながらではあるものの、親としての希望を伝えることはいいのかもしれないな。
何が正解かわからないけれど、今日は、これはこれで、よかったのかなと思う。