昨日、体調を崩した息子だったけれど、少し横になったら、驚くほど回復した。
体調不良の原因がなんだったのか? それはよくわからないけれど、とりあえず、元気になったのだからよしとした。
ただ、嘔吐した時に力み過ぎて、顔中、内出血の赤い斑点ができてしまったのが痛々しい。
昨日大事を取って外出しなかったツケが今日巡ってきて、散髪だの、にんじん料理をした報告書書きだの、書き初めの清書だの、宿題の残りだのが山積していて、朝、本当に今日、息子は捌ききれるだろうか? と不安に襲われた。
それは、私自身が抱えている仕事や課題をちゃんとこなせるだろうか? という不安と相まって、朝食の準備さえ、気もそぞろでできなくなるほど、頭が真っ白になってしまった。
私は、いっぺんにやることがどっと押し寄せると、フリーズしたり、頭が真っ白になってしまうことが時々ある。
家族や、PTAで役員として一緒に活動している仲間は、私のその特徴? みたいなのを理解していて、「大丈夫? 今、魂が抜けてたね?」とか言って、茶化しながらも、受け止めてくれているから、なんとかなっているけれど、仕事中は、大体が、一人きりでやっていることが多いから、人に気づかれないのはいいのだけれど、自分一人で、どうにか、「魂」を戻さないといけない。
その方法は、何度もそんなことになっているから、やり方が大分上手になった。
①まず、自分が今、軽くパニックになって、どうしていいかわからなくなっていることを認める。
②「大丈夫だ。一つ一つこなしていけば、どうにかなる。きっとできる」と言い聞かせる。場合によって、昔、山登り(低山でハイキング程度だけれど)をして、つらい時も、小さな歩幅で、一歩一歩ゆっくりと歩を進めているうちに頂上に達したことを思い出しイメージする。
③余裕があれば、今、やるべきことを書き出す。そうすることで、頭の中で混乱して膨大に思えていたタスクが実は、それほど多くないことを視覚化でき、不安が少なくなる。
④じゃあ、どの順番で取り組めば効率的か、あるいは、優先するべきことはどれだろうか? と考えてみる。
⑤「はー」っと息を吐き切ってみる。
こんな感じに、対応すると、結構魂を戻せることが多い。
あ、ここでいう「魂が抜ける、戻す」はあくまでもイメージなので、表現の一つとして許してほしい。
しかし、このことができるほど余裕がない場合も結構あって、涙が出てしまったり、イライラしてしまうこともあるんだよな。最近は。
あと、最近思うのが、本当に、人によって、「大切だと思っていること」が違うんだなってこと。
私が大切に思っていることを、誰もが大切に思っているとも限らないし、反対に、私が重きを置いていないことをとても大切にしている人もいるということ。
つい、自分が大切にしていることの方を優先してほしいという思いにかられるけれど、それが正解とは限らない。
どっちが正しくて、どっちが間違っているとかではないのだ。
いわゆる価値観が違うというものなのかもしれないけれど、やはり、それが同じとか近い人と一緒に過ごすと心地いいけれど、うっかり価値観の違う中に迷い込んでしまうと、息が詰まったり、無理をして辛くなってしまうものだなと思うのだ。
常識を疑ってみること。
それは、子どもの頃、いわゆる優等生的だった、私に取っては、すごく大きな改革だし、とても怖く感じることでもある。
でも世の中の動きを見ていると、つい、この前まで、「普通だったもの」が、今や過去のものになっていることがある。
過去になっているだけなら、まだしも、「間違っていた」なんてことになっていることもあるし……。
だからこそ、自分の頭で考えて、心で感じ、どうしたいのか、どうするのか、選んで行くことが大切なんだと感じる。
違う価値観の常識に流されていると、自分が小さく感じることもある。
だから、お互いを尊重するためにも、離れるという選択肢を選ぶことも必要な時もあるんだよな、きっと。
そうはいっても、まだ、確固たる覚悟のようなものができなくて、あまり波風を立てず、もめずに行きたい気持ちもあったりするんだ……。
少しずつでも、自分の中の正直な思いを、自分自身が認め、行動に結びつける勇気を持って、進んで行きたい。