参加中の“HSC書籍制作プロジェクト”の前回のミーティングで、主催者のkokokakuさんの旦那さまで精神科医の方が書かれた文章を、一般の人にもわかりやすく書くことに挑戦することになった。
「1章、2章、6章の中で、取り組みたい章や項目を選んでみてください」
kokokakuさんにそう言ってもらい、すでに書かれた原稿をすぐに送ってもらった。
送ってもらってすぐに読みたかったのだけど、息子の保護者会や、習い事の付き添い、家事などがあり、その日は、読めなかった。
翌日は翌日で、仕事があり、その次の日はクリスマス会の買い出しがあった。
やりたいことなら、すぐにでも取り掛かれば良いのだけれど、大切なものだと思えば思うほど、構えてしまって、片手間に手をつけられないものだと改めて感じた。
でも、読まなければ、進まない。
ようやく、3連休の中日に、まとまった時間ができたので、読む時間に当てることができた。
本当はプリントアウトして、線でも引きながら、読み進めたいと思ったのだけれど、あいにくプリンターのインクが切れていて、印刷できず、パソコン画面のまま読ませてもらった。
私が参加する前に、書籍の目次が決まっていたのだけれど、その読ませていただいた原稿は、必ずしも、それに沿ったものではなかった。
kokokakuさんによると、その原稿は、随分前から、書籍化を考えて書かれたものらしかった。
そう聞くと、さらに、身が引き締まる思いだった。
第1章は、大まかにいうと、「HSCとは……」というような、HSCのことをまだよく知らない人のために書かれた説明だった。
HSCについて、私自身は今から4年前に知ったし、いつも一緒に暮らしている息子にその特徴があるしで、かなり身近な存在なので、その文章は、うんうんと頷きながら、すんなりと読み進められた。
これって、直す必要があるのだろうか?
そんな思いすらあった。
確かに、少し堅い感じもするけれど、読みにくいわけではない気がした。
次に、2章と6章にあたる文章を読んでみた。
こちらは、「私は……」と主語が、はっきりとした文章だった。
kokokakuさん、あるいは、ご主人の、「息子さんを受け止め、親として覚悟し、力強く支えていこうとする気持ち」が感じられ、胸が熱くなった。
これは……。
これは、このままご本人が書かれた方がいいのではないだろうか?
書き直すことに尻込みするくらい、素晴らしい文章だったのだ。
そうかと言って、第1章を胸を張って引き受けますというほどの自信もなく、大変なことを引き受けてしまったように思えてきた。
でも、せっかくだから、何か、お手伝いしたい。
最初から、うまくできなくても、諦めない思い、著者の思いを受け止めたいという気持ちを持って臨めば、もしかしたら、できるかもしれない……。
そう思って、kokokakuさんにメッセージを送った。
「どのように書き直して良いかは、今から、考える段階ですが、もしよければ、第1章のリライトにチャレンジさせてもらっていいでしょうか? その際、『こんな風に』とかアドバイスをいただけると幸いです」と。
すると、その旨了解ということと、早速いくつかの依頼を受けた。
①「小学生でも読める」読みやすさや言葉選びをお願いしたいです。
②見出しも本文も、堅い表現が多いので、優しくまろやかな感じになったらいいなと。
そのほかにあとふたつ依頼を伝えてくれたのだけれど、アドバイスを求めて、すぐにそれをいただけるありがたさと、それ以上に、もう明確に、イメージがあるんだなって思って、それってすごいなって思った。
「あとはみかりんの腕にお任せします!」
え?
その一言は、嬉しさと同時に、緊張をもくれた。
そのあと、緊張するが、頑張ってみることと、ダメ出しをもらっても、何度も書き直す気持ちはあるので、何でも注文してほしいということを伝えた。
さあ、では、早速!
と言いたいところなのだけれど、時、同じくして、仕事の引き継ぎがあり、そのマニュアルをこの年末年始で作らないといけないミッションがあるのだ。
来月の半ばから本格的に集中する予定であるので、少し時間が欲しい旨を伝えた。
ああ、それにしても、すごいことを引き受けてしまったものだ。
わかりやすく、書くって、本当に難しいことだなあ。
よく知っていること、慣れ親しんだことだからこそ、何も知らなかった時の自分に戻って、伝え方を考えないといけない。
でもそれが、できるようになったら、最強だな、何に対しても。
成長する機会をもらって本当にありがたい。
できないからこそ、できるように努力するチャンスなんだと、自分自身に言い聞かせながら、まずは原稿を読み込むことから始めてみようと思う。