電車の中で、本を読む。
家族で、旦那の実家へ行く道中。
旦那も、息子も、私も、それぞれの本を読んでいる。
読み疲れたのか、途中で息子は、本を持ったまま、私の肩に頭を乗せて、うとうととしているようだった。
少し、体制を替え、息子の頭の座りを調整しながらも、これ以上、息子本位にしてしまうと、私がつらくなってしまうという直前でやめる。
肩に重みを感じるけれど、躊躇なく、寄りかかってくるということは、信頼されていることなのかと思うと、少し嬉しい。
どこまで読んだか、一瞬、わからなくなって、少し戻ったところから読み直す。
電車の揺れと、今は、もう何も他のことはできないという拘束感で、電車の中での読書は捗る。
帰りの電車では、息子は、自分の読書はやめておいたようで、私の読んでいる本を覗き込んできた。
「これはだれ?」
挿絵の写真を指していう。
「これは、太宰治っていう小説家だよ」
「ふーん。じゃあ、これは?」
本の本題とは違った質問を投げかけられる。
最近は、文字の多い本も読むようになった息子は、私が読んでいる本にも、興味持ってきている。
後ろめたさは、ないけれど、覗き込まれると、ドキリとする。
結局、行きと帰りの電車では、100ページ程しか読み進められなかった。
でも、とても貴重な時間。
直接対話をすることも、大切だし楽しいけれど、
「この本面白かったよ! 読んでみて!」
って読書を通してコミュニケーション取れる日も近い気がして、ちょっとワクワクしてきた。