例えば、愚痴をこぼしたくなるほど大変な状況に身を投じている状態で、信頼できる人の前で、散々、愚痴った挙句
「じゃあ、やめちゃえば?」
と言われると
「いやいや、そういうわけじゃなくて……」
と慌てて、言い訳をしている ってこと、あったりする。
やめたいのか? やめたくないのか? でいうと、多分、本当は、やめたくはない。
でも、この環境には、不満があるんだよな……なんて思っていたら、私の脳内から、なにやら、ごそごそと声が聞こえ始める……。
A:じゃあ、その環境っていうのは、自分の努力で、変えられるもの? 変えられないもの?
B:変えられるものもあれば、変えられないものもあるよ。
A:変えられるものは、変える努力をしてみた?
B:うーん。全然していないというわけじゃないけれど、もう充分したとは言い難い。
A:じゃあ、どうしたらいいと思う? というか、どうしたい?
B:改善できるものは、やってみたい。で、変えられないものは……
A:変えられないものは?
B:諦めるか……。
A:諦められる?
B:どうかな? わからない。
C:諦めるっていうのは、その場所から去ることなの? 受け入れることなの?
B:え? 誰?
なんて、脳内の登場人物が多くなってきてしまうこともある。
はてさて……
実のところ、こうして、自分の中で考えた時に、出てくる言葉は、もちろん、自分が今まで体験した感情からくる事もあるけれど、おそらく、今まで、誰かに聞いた言葉だったり、読んだ本だったりする。
誰かに話を聞いてもらうこと。
自分の脳内会議をすること。
書き出してみること。
どれも大事で、いつ、どれから、自分の本当の気持ちもがわかるかは、わからない。
今日、これが本当の自分の気持ちだと思っても、次の日には、別の気持ちがわーっと現れてばーっと広がることだってある。
なんだかな。
自分のことってよくわからないよな。
でも、きっと、迷えるってことは、幸せなことかもしれないし、あるタイミングで、どーっと流れるように、ことが進むかもしれない。
なんだかんだと言いながら、今の環境を選択しているということは、きっと、ここでの学びが必要で、それを自ら求めているからなのだとも思える。
心地いい場所も必要だし、いいんだけど、なんだか、ゴツゴツといろんなものにぶつかる環境も、自分と違う考え、価値観、感覚、そういったものがあるんだよってことを知るチャンスかもしれない。
それに、どうしても腹がたつということは、自分が何を大切にしているものが、わかるチャンスかもしれない。
そうやって考えてみると、学ばせてもらう事ばかりだ。
だからといって、ずっと同じ場所にいることが、最善でもなく、あーでもない、こーでもないと感情を味わった末に、卒業することだって意味があると思う。
ただ、もう少し、今、ここで、できることをやってみようと、今は、思っている。