昨日、今学期で転出する児童の保護者の方数名に、6月に集金したPTA会費の一部を返金した。
近隣の小学校のPTA役員が集まった会合では、転出しても返さない学校が多い中、我が校は、数年前から転出する時期によって、概算で返金していた。
その、転出者の連絡方法が、曖昧だったりして困っていたので、副校長先生が変わったこともあり、相談すると、転出者が出たら電話で教えてくれることになった。
しかし、その代わりというわけではないけれど、月割りで返金することになり、少々手続きが大変になったことは否めない。
しかしながら、大切なお金なので、面倒なんて言ってしまったら申し訳ない。
だから、私は、もう1人の会計担当の仲間と一緒に、対応した。
彼女がまず、保護者の方にお手紙を作ってくれた。
「返金したいので、都合のいい日を教えてください」と私のメールアドレスを記入して渡した。
この連絡方法も手探りなところがあるので、これがベストかどうかわからないけれど、今回はとりあえずこの方法にした。
該当者は三人で、三人三様のメールが来た。
ひとりは、私も出席する授業参観の日が都合がいいので、その日はどうかという提案だった。
私としては、ありがたく、すぐに、待ち合わせ場所を決めて約束できた。
もうひとりは、たくさん、候補日を書いてくれたのでありがたかったけれど、その中で、たった1日しか私の都合がいい日がなかった。
しかしそのあとに、ひとり目の方が提案してくれた授業参観の日も行きたいけれど、下の子が熱を出しているので、必ずいけるかわからない。行けたら、その日でもいいが、と続けて書いてあった。
なので、とりあえず授業参観の日にして、もしダメだったら、別日にしましょうという約束にした。
そして最後のひとりは、「忙しくて待ち合わせが難しいので、寄付という形にさせてもらえないか?」ということだった。
PTA会長や副校長先生にお話しすると、先生を通してお返しすることもできるので、もう一度メールしてほしいということだった。
再度メールすると、それも難しいということだったので、じゃあ仕方ないか……と私なりに、寄付を受けるも止むなしで、その方が相手のためのような気がするなと思っていた。
しかし、副校長に相談すると、とりあえず、お金は準備して先生が持っていて、「万が一、時間ができたらよってください。どうしてもお会いできなかったら、寄付としてありがたくお受けします」ということを書いたメールを作成することになった。
いやあ辛かった。
文面が難しかった。
どっちの気持ちもわかる。
でも結果とした折衷案は、私が意図するものではない。
だけど、折衷案をご理解していただく、こちら側の人間として、メールを送らないといけない。
それは、ある意味、相手側の思いを受け止めているようで、受け入れているわけではない。
最後の方と、何度かメールのやり取りした。
お仕事が忙しい中、ご丁寧に対応してくれたけれど、最後のメールには返信はなかった。
仕方がないというか、もっともな状態だと思う。
多分、お金は受け取りに来られないと思う。
だけど、学校側の「できるだけお返ししたい」気持ちもわからなくない。
自分が思っていることを文字にしたり、口にしたりできることって、実は、とても恵まれたことなんだなって思った。
今まで、あまり機会はなかったけれど、自分もどちらかというと、相手側の気持ちに近いのに、立場上お断りしないといけなかったり、お願いしないといけなかったり……。
でも、そんな時でも、文章を書き慣れていてよかったと思うのは、一方的に、こちらの意見を述べるのではなく、相手の気持ちに感謝したり、慮りながら、苦しいながらも、ギリギリの失礼の少ない文章がかけたのではないかと思うからだ。
奇しくも、お子さんの転出する小学校の最後のやり取りとなってしまった。
「寄付をしていただけることありがとうございます」
とストレートに受けることができたのなら、相手の方も気持ちよかったと思うけれど、仕方ない。
なかなか世の中ままならないものだな……。
もしも、返金を受け取りにいらっしゃらなくて、結果、寄付していただくことになったら、心の中で、「ありがとうございます」と精一杯言おうと思う。