以前のブログにも、何度か書いた通り、私は、現在、PTAの卓球部に入っている。
だから、毎週火曜日の17時から19時まで、息子の小学校の体育館で練習している。
9月からパートで仕事を始めたのだけれど、息子の授業時間の関係で、パートも火曜日なのだ。
だから、15時半に帰宅し、一呼吸して、夕食の準備なんかをしているとあっという間に、17時になる。
正直、疲れる。
「今日は、夕食作らなくてもいいよ。大変だったら」
疲れているとか、そうでないとかに関わらず、私は、あまり料理が得意でない上に、面倒臭がりだ。
だから、レパートリーの数も少ない。
夫の優しさか、諦めか
「大変だったら、買って帰るよ」
と言ってくれる日がままある。
悪いな……という気持ちと、ありがとう! という気持ちが共存した挙句
「ありがとう」
と言って、夕食作りを免除してもらうこと……ままある。
今日も、朝、私が疲れた顔をしていたのか、夕食作り免除の打診があったので、ありがたく、受けた。
また、卓球の練習は、息子を連れて行っている。
小3の息子は、まだ1人で留守番ができない。
一人っ子というのもあるけれど、物音に敏感で、怖いらしい。
まあ、それは、時間をかけて慣れていってもらえればいいかと思うけれど、問題は、私の練習について来ても楽しそうでないことだ。
場合によっては、運よく、楽しめることもあるけれど、みんなでワイワイやることがあまり得意ではなく、激しすぎる遊びも苦手なので、特に、仲間外れにされているわけではなくても、結果的に、1人で、体育館の隅でうっぷしていることも多々ある。
最初、それが気になってしまい、卓球の練習もそこそこに、息子の側で一緒になってじっとしていたこともあった。
だけど、そうすると、私の内心は、面白くなく、眉間にしわを寄せているような状況になる。
なんのためにここにいるのだろう?
そんな風に思ってしまう。
だから、まあ程度にもよるけれど、最近は、息子が、体育館の隅でつまらなさそうにしていても、心の中で、「申し訳ない」と思いながらも、卓球を楽しませてもらうことにしている。
「つまらない思いをさせたまま、卓球に付き合わせてごめんね。でもね、お母さん、試合の向けて練習したいんだ。だから、一緒に来てくれるから、練習できるんだよ。付き合ってくれてありがとうね」
そう思いながら、今日も打ち続けた。
帰り道、
「ありがとう」
と私が言ったら、頷いて、
「月が綺麗だね」
そう言ってくれた息子。
本当にありがとう。
「お母さん、卓球が楽しいんだ。だから、続けたいんだよ。もしも、本当に辛かったら、家で待っていてもいいよ」
私がそう言ったら、しばらく考えて
「それよりも、ついて行くほうがマシ」
と息子は言った。
どっちも、あんまりやりたくないんだよね。
お母さん、わかってはいるんだ……。
昔の私だったら、息子の気持ちを優先して、卓球をやめていたかもしれない。
だけど、
「お母さんは、卓球がやりたんだよ」
そう言えるようになったのは、旦那と息子のおかげだ。
あれ?
でも、そう考えると、旦那や息子のやりたいことに合わせてあげることよりも、私のやりたいことに合わせてもらうことの方が圧倒的に多い気がする。
「ありがとう」と「ごめんね」を行ったり来たりしながら、今日も、私は、家族と生きていく。