「ちょっと、やること先にやっちゃおうよ!」
相変わらず、今日も、息子に言ってしまった。
仕事で、お昼ご飯を食べるのが遅くなり、お腹もすいていたし、目が疲れたのか、頭も痛いしで、息子のことと関係なく、私はイライラしていたからだ。
息子にとって、私の眉間のシワは、自分に対する不満によるものなのか? はたまた、それ以外によるものか? それを判断することは難しいようで、なんとなく、腫れ物に触るように、だけど、言うことをきくというわけでもなく、しばらく時間が過ぎて行った。
イライラが募り
「もう! 宿題に取り掛からないと、お母さん、泣いちゃうかもしれないよ!」
と、つい、言った。
怒っちゃうかもしれないよ! と言おうとして、口から出た言葉が、泣いちゃうかもしれないよ! だった。
間違いだったのか? 本音だったのか? よくわからなかったけれど、自分でも、これじゃ脅しにならない上に全く効き目すらないよなと思ったのだけれど……
「怖い怖い! やりますやります!」
と息子が、椅子に座って、宿題を始めたではないか!
「え?」
意外な展開に、びっくりした。
びっくりついでに、息子の、今の気持ちを聞いてみたくなった。
「お母さんが、目の前で、怒るのと、泣いちゃうのは、どっちがこわい?」
「そりゃ、泣く方」
「へー」
そうか! 泣いちゃうのって怖いんだ。
私はどうだろう? 人が怒っているのを見るのと、泣いているのを見るのとでは、どっちが怖いだろう?
関係のない人が、怒っているのと泣いているのだったら、怒っている方が怖いけれど、もしも、旦那とか親とかが泣いていたら、それはそれで、ズシッと来るな……。怖いとは違うけど。息子の気持ちも、そういうことなのかな?
息子が泣いているのを見るのと、怒っているのを見るのとでは、今は、怒っている方が嫌だけど、それは、自分が怒りたいのを我慢しているからなのかもしれない。
怒りとか悲しみとかを目の前で表現された時、胸にズシッと来るのは、それだけ、その人と気持ちが近いという証なのかもしれない。
効き目があるからって、味を占めて
「泣いちゃうからね!」
を多用するのは、よくないけれど、「泣いちゃうからね!」で心を動かされる息子は、人として、感情の面で豊かに育っているのかもしれないと、少しだけ嬉しく思った。