涙と笑顔のあいだ

HSC(ひといちばい敏感な子)中1ひとりっ子男子の子育てを通し成長させてもらいながら、日常のモヤモヤの純度を上げるべく綴る40代主婦のブログ

命の危機を救い続けたお坊さんが、人生の最期に教えてくれたこと《後編》

《前編》のつづき……

 

半年の受講期間も、彼の体調はあまりよくはなかった。遡ること、2011年の東日本大震災の時に、気仙沼などで支援活動をしていたそうだ。避難所にいる人にマッサージをしていたら、

「私も!」

「じゃあ、私も!」

という状態になり、ありえないくらい多くの人をマッサージしたらしい。そして、それがきっかけで、右腕の調子が悪くなったと聞いた。その後、長時間、お経をあげ続けた時に、筋肉が断裂してしまったそうだ。講義の時も、痛み止めの注射を打って宮崎から来ていたのだった。さらに、ぎっくり腰も患ってしまい、正に、満身創痍。それでも、

「痛い」

とは言いながらも、

「学びの場に来られて嬉しい」

と笑顔も見せてくれていたので、私としては気になりながらも、毎回会えることを喜んでいた。自分がつらいはずなのに、いつも、私たち仲間のことを気遣ってくれていた。その温かさが嬉しくて、つい、甘えてしまっていた。

 

メールの返信をもらった数日後、Skypeで同期会をした。体調がすぐれないから欠席すると聞いていた彼が画面に表れたので、一瞬、嬉しかった。しかし、その後聞かせてくれた病状を知り、愕然とした。その内容は、肝臓癌でステージⅣ、余命一年。

 

私はかける言葉もなく、黙ってしまった。最先端の治療方法や民間療法などを知っている頼もしい仲間たちは、次々と知識を伝えていた。しかし、それらのほとんどを、彼はすでに試したようだった。

 

その時も、画面の中の彼は、笑顔を見せてくれていたから、絶対に奇跡が起こって、がんが消えたとか、よくなったとか、そういった結末になるんだと、信じていた。信じていたかった。

 

私には、祈ることしかできなかったけれど、祈りにはパワーがあると信じて、毎日祈っていた。

 

程なくして、彼は入院し、面会謝絶になった。精密検査の結果、胆管癌が肝臓に転移した可能性が強いと聞いた。それでも、時折、Facebookの投稿に、「いいね!」を押してくれたり、私の拙いブログ記事をほめてくれたり、シェアまでしてくれていたから……、それまでと変わらず温かさを感じていたから、きっと元気になると信じていた。

 

彼を知る多くの人が、彼の回復を祈っていた。

 

しかし、余命宣告よりもだいぶ早く、ひと月と少しで彼は逝ってしまった。51歳の若さだった。

 

宮崎で執り行われた葬儀に、私は参列できなかったが、参列した仲間が様子を伝えてくれた。その日の宮崎の空は、抜けるような青空だったらしい。そして、葬儀の時に、彼が病床で力を振り絞って残してくれたメッセージの動画が流されたことを知った。

 

 

葬儀からしばらくして、その動画を拝見する機会をもらった。

 

「みなさんが、このビデオを見ているということは、私がこの世にいないということです。今日は私の葬儀に来ていただきまして、ありがとうございます……」

こう始まる、ベッドに横になった友人が話す動画を見て、私の胸はギューっと締めつけられた。

 

彼は、時々、目をつむりながら、静かに、しかし、しっかりと話していた。時に、息苦しそうに、そして、涙ぐみながら……。

 

お坊さんとして社会にどう貢献できるか? 心が病んでいる人をどう救うのか? を考えて、街のお祭りの運営にかかわり、駅前の掃除をし、そして、教誨師、里親、“自殺防止センター”の電話相談員のボランティア、講演などの活動をしてきたと話していた。そして、

「心の内戦を防ぐ“ほめ達認定講師”として……、これからもっともっと、やっていきたかったのですが、中々、道半ばで……道半ばで体がいうことを聞きません……」

そう話した時に、顔を辛そうに歪めて、涙ぐんでいた。

 

格差において劣悪な環境で育っている子どもたちがたくさんいることにも、きちんと目を向けてほしい! 愛情の反対は無関心。社会に無関心にならずに、関心を持って声をかけてくれたら本望であると話していた。

 

「……よろしくお願いいたします」

亡くなるひと月ほど前に撮影された、532秒の動画だった。

 

 

「人は二度死ぬ」

そう、講義で聞いた。

 

一度目の死は、肉体が役目を終えて亡くなる時。

二度目の死とは、誰も思い出してくれる人がいなくなった時。

 

一度目の死を迎えると、二度目の寿命が始まる……。

 

彼が病に倒れた時、多くの人が回復を祈っていた。そして、亡くなった時、ともに、悔しく思い、寂しく思った。

 

多くの人たちの心の中で、今、彼は生き続けている。

 

私が、彼と出会ってから亡くなるまで、実は、七回しか実際にはお会いしていない。それなのに、こんなにも心に残るなんて本当に不思議だ。私だけではなく、同じように数えるほどしか会ってないにも関わらず、影響を受けた人は本当に多いと思う。

 

自分のことを後回しにして、出会ったひとりひとりのことをいつも気にかけてくれた。目の前の人に全力で向き合ってくれたからこそ、人々の心に残るのだろうと思った。

 

人と人との絆の強さは、一緒に過ごした時間に比例するものだと思っていたし、今もそう思うけれど、時に、短くても密度が濃いと、長さに匹敵する場合もあるのだと感じた。

 

 

現在、日本には、年間3万人近くの自殺者がいるという。そのような状態のことを「ほめ達!」では“心の内戦”状態と呼んでいる。その異常な状態を、「マイナスをプラスに変換する」という「心のフィルター」を持つことによって改善していこうとしている。

 

彼が亡くなり、多くの仲間が、彼の志を引き継ぐ覚悟を決めたと言っていた。

 

私も、そうしたいと思いながらも、彼の偉大さを知れば知るほど、萎縮する自分を感じてしまう。

 

少しでもいいのかな? できることからでいいのかな?

 

今、私にできることは、笑顔の下で泣いている大切な人がいないだろうかと、周りに目を向けて、話を聞くこと! そして、その人のいいところを発見し、その素晴らしさを伝えること! そして、自分の人生を、精一杯生きること!

 

できることから始めよう!

 

彼が、命がけで伝えてくれた、命の大切さを胸に、歩んでいきたいと思う。