涙と笑顔のあいだ

HSC(ひといちばい敏感な子)中1ひとりっ子男子の子育てを通し成長させてもらいながら、日常のモヤモヤの純度を上げるべく綴る40代主婦のブログ

離任式で、息子の「恩人」を送り出しました

一昨日は離任式がありました。

 

息子が大変お世話になった先生も、この春異動になってしまったので、久しぶりの再会でした。

 

保護者は基本的には離任式に参加できないのですが、私は、現在PTAの本部役員の一人なので、PTA代表として先生に花束を送るという立場で参加できました。

 

息子が大変お世話になったS先生の他にも、5人の先生が異動されたので、計6人の先生をお送りする会となりました。

 

体育館の舞台で、代表の児童がお手紙を読み上げお花とともにプレゼントし、そのあと先生が一人ひとりご挨拶されました。

 

六人六様?のご挨拶で、ユーモアも交え、児童達への愛や応援する気持ちも感じられ、みなさん素晴らしかったです。

 

私は何度も体育館の後ろの隅で泣いてしまいました。

一番泣いたのは、息子が大変お世話になった先生がお話になっている時でした。

あとで息子に聞いたら、その時が一番グッときていたようでした。

息子は、S先生のことを「恩人」とか「大黒柱」と表現していましたから、学校生活の中で本当に心の拠り所とさせていただいていたんだなと改めて感じました。

 

現在小5の息子はHSC(ひといちばい敏感な子)の気質がありますが、今は、どうにか学校に通えています。

けれども、低学年の時は、今よりももっと不安が大きかったように思えます。

そんな息子の心の機微によく気がついてくださり「どうした? 大丈夫?」といつも優しく寄り添ってくださったことに心から感謝しています。

 

私は、離任式のあと、みんなと一緒に花道を作り、PTA代表として花束を、そして、PTA卓球部代表として寄せ書きの色紙をプレゼントしました。

たくさん伝えたいことがあったはずなのに、もう会えないかもしれないのに

「先生、本当にありがとうございました」

しか言えませんでした。

先生も、私も、真面目なタイプなので、他の保護者と他の先生たちみたいにハグとかできなかったけれど、本当はハグしたい気持ちでした。

 

連絡先も本当は交換したかったし、また会いたかったけれど、個人的に連絡をとってご迷惑をおかけしてしまうのも申し訳ないので控えました。

だけど、これからも、息子の成長を報告し、一緒に喜んでもらいたかったなって思います。

もしかしたら、運動会を見にきてくれるかな? そうしたら嬉しいな!

 

それから、息子が直接お世話になった先生ではなかったのですが、離任式に参加した児童の中に、ご自分が直接教えた児童がいない先生がいらっしゃいました。

4年間在籍していたのですが、5年生6年生5年生6年生と受け持ったので、全員が卒業してしまったようでした。

とても気さくで素敵な先生なので、在校生にも人気がありその場がしらけることなどなかったのですが、なんと、卒業した現在の中学1年生と2年生が門のところまでかけつけていたのです。

その数は50人くらいいました!

その数に圧倒されました! すごかったです!

 

先生との相性ってあって、息子が大好きだった先生も、他の子からするとそうでもなかったり、多くの子どもに人気があっても、息子にとってそうでもない場合もあります。

 

先生も人間だから、意識して贔屓するとかでなくても、よく話をする子とそうでない子もいると思いますから、本当に、これは運とかもあるけれど、だからこそ、「この先生に出会えてよかった!」と思えることは貴重なことなんだなって思いました。

 

息子が低学年の時に、親以外の信頼できる大人に出会えたことに感謝しています。

 

これからも元気に過ごしてくださればと心から願います。

『名探偵ピカチュウ』を家族で観にいきました!

今日は、家族で映画を観に行きました。

観たのは『名探偵ピカチュウ』。

 

「家族3人で映画観に行くの久しぶりだねー」

って呑気に言ったら

「3人で一緒に行くのは初めてじゃない?」

と旦那に言われ、びっくりしました!

「えー! そうかな? 一緒に行ったことないかな?」

と言いながら思い返してみたのですが、息子と観に行った映画は、そう言えば、息子と2人で行ったし、旦那と息子が観た映画には私は行っていなくて……。

旦那と一緒に観た映画は『硫黄島からの手紙』(2006年)が最後でした汗

確か、体調がそもそもあまり良くない中、全体的に薄暗い感じの映画で画面に酔って気持ちが悪くなってしまったんでした……。

なんだかんだと映画に行かないまま、息子が生まれたのが2008年。

 

息子が2歳くらいの小さい頃には、電車の映画とかを私が平日に連れて行きましたね。

で、息子と映画に最後に行ったのが、『ベイマックス』(2014年)、息子が6歳の頃。

それ以降は、息子と旦那が観たいものと、私が観たいものの趣味が合わず、観に行くときは私ひとりか、息子と旦那の2人という感じだったんだと、改めて気づきました。

 

今回の『名探偵ピカチュウ』も、最初は、息子と旦那の2人で観に行く予定でした。

しかし、最近、私がひとりで『キングダム』を観に行って、『名探偵ピカチュウ』の予告をみて、ピカチュウのおじさんっぷりに興味を持ってしまい

「一緒に行きたい!」

と言って、3人での映画鑑賞が実現しました!

 

ちょっと心配だったのは、息子が感動系の映画を『ベイマックス』以降観なくなったのは、「感動して泣くと苦しいから」という理由で避けていたようだったので、今回の映画は感動系ではないのだろか? ということでした。

 

でも元々、旦那と観ると決めているのに「大丈夫?」って聞くのも気が引けて、なるようになるさと黙っていました。

 

私はというと「ピカチュウがおじさんみたいにしゃべる」ということしか知らないで観に行きました。

あらすじも知らなければ、ポケモンの名前もほとんど知らなかったのです。

 

ですが!

本当にすごく良かったです!

「知らない」ってことでより純粋に楽しめました!

何度もうるっときたり、びっくりしたり、楽しい1時間44分でした。

 

息子はというと、結論から言うと、号泣していました。

しかも、嗚咽レベル!

泣きすぎて吐きそうになってしまい、こっそりビニール袋を用意しました。さすがに吐かなかったので良かったですが……。

確かに、同じところで私も感動しましたが、私以上に心を揺さぶられたんですね。

私は息子の涙を見て、さらにもらい泣きしましたが汗

 

感動ポイントはココ! と言いたいところなんですが、ネタバレになってしまうといけないのでそれは控えておきますね。

 

だけど、息子に関して良かったなと思うのは、嗚咽レベルで号泣した後、案の定しばらくは不機嫌というか、何か話しかけたらまた涙が流れてしまう感じで、黙って背中をさするしかなかったのですが、気持ちが落ち着いた後に

「本当にすごく良かった。1万円くらいの価値がある映画だった」

と言ったんです。

まあ、映画の料金の千円も自分の稼いだお金じゃないから1万円の価値もどのくらいかわかっているか定かではないのですが、それでも、本当に感動したんだなってことがわかりました。

「また観たい?」

そう聞いたら

「家でだったら」

と言いました。

 

息子はHSC(ひといちばい敏感な子)の気質があると、本人も私も思っているんですね。

HSCは、感動系の映画に「心を揺さぶられやすい」と聞くのですが、息子もそうでした。

今回も「心を揺さぶられたこと」には変わらないのですが、そのことが嫌で避けていたのが、最近、「心を揺さぶられること」「感動すること」を極端に嫌がらなくなった気がするんです。

この映画もそうなんですが、Netflixでも感動系の短いお話を観ていましたし、私にも勧めてきました。

そのことが、息子の心の成長に思えて嬉しいのです。

 

もしかすると「泣くこと」を昔よりも肯定できるようになってきたからかもしれません。

あるいは、「涙」の種類があることがわかってきたのかもしれません。

「泣くこと」を肯定しにくい状態には、私にも多分少しの責任があって、前は、私自身が「泣くこと」を肯定できていなかったので、それが伝わっていたと思います。

私の「涙を肯定する気持ち」が息子にも伝わったのと「感動して流す涙は悪くない」と成長する中で感じられていたとしたら嬉しいです。

 

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『思わず考えちゃう』を読んで、自己肯定感が少し上がった気がした話

連日、本の読後の記事ですが、この本もとてもよかったので、ブログを書きたくなりました。

今日、めちゃくちゃスピーディーに読めちゃった本は、この本。

『思わず考えちゃう』ヨシタケシンスケ・著  新潮社

思わず考えちゃう

思わず考えちゃう

 

 

2019年3月末に発売したようですね。

確か発売日くらいに本屋で見かけて「欲しい」と思ったんですが、他の本を読むことを優先させてしまい買いそびれていました。

 

いつも行く本屋では見かけなかったので、ちょっと忘れていたのですが、今日、久しぶりに隣町の本屋に行ったら再会しましたので、買うことにしたのです。

今日見たら、すでに「3刷」になっていました! さすがです!

 

ヨシタケシンスケさんの本は他の本も好きです。

『あるかしら書店』も大好きです。

 

あるかしら書店

あるかしら書店

 

 『ヨチヨチ父 とまどう日々』も持っています。

 

ヨチヨチ父 とまどう日々

ヨチヨチ父 とまどう日々

 

 

この本『思わず考えちゃう』は、「はじめに」に書いてあるのですが、ヨシタケシンスケさんが講演会などをやった時に、本編が早めに終わってしまい、余った時間に披露した「普段、勝手に描いているイラスト(スケッチ)を何枚か見ていただいて、そのイラストに対するコメントをしていく」ものを集めたものらしいんですね。

 「本編よりもそちらの時間帯の方がお客さんに喜んでいただけることが多かった」らしく、この本が生まれたそうです。

そのエピソードを読んだだけでも笑顔になれて、ワクワクしました。

 

この本文字通りヨシタケシンスケさんの「思わず考えちゃう」話がイラストを交えて描かれているんですが、「え? その発想はなかった」というものから「あ! わかる! 私もそれ考えたことある!」まで様々でグイグイ引き込まれました。

 

さらに好感が持てるのは、ヨシタケシンスケさんのちょっと心のブラックな部分も惜しげもなく描いてくれているところです。

もちろん、ブラックなところの方が少なくて、優しい目線が多く、そこにもキュンとします。

 

それで、私は今絶賛「自己肯定感を高めようと努力中」なのですが、この本を読んで、少し自己肯定感が上がった気がしたんです。

 

それはなぜかということ、ヨシタケシンスケさんの描く世界というのが、決して綺麗事ばかりではないからです。

そうかと言って人を傷つけるわけでもなく、人間ならば思うであろうちょっとずるいことやできれば変えたいのに変えられないこととか、弱さとか、そういった「どうしようもない」ことが描かれていたり、あるいは、本当にしょうもないことが描かれていたりします。

そんなヨシタケシンスケさんの描く世界が私は好きで、私の周りにもヨシタケシンスケさんの描く世界が好きな人がたくさんいるのです。

なぜ好きなんだろう? って考えてみると、そういった弱さとか、ともすれば欠点のような凸凹したところが好きなんだと思うんです。

 

だから、この本を読んでいると、「自分の中の弱いところ、よくないと思っているところ」を含めて人間なんだと思え、また、そういった欠点を愛おしく思ってもいいんじゃないかと思えてきたんですね。

 

この本、全体的にいいんですが、特に「第3章 ねむくなるまで考えちゃう」がとてもよかったです。

 

“できないことをできないままにするのが仕事”とか“あなたのおかげで私はとうとうあなたが必要なくなりました”とか、もう本当にいい!

 

何かの本で、「自己肯定感」ってずっと上がったままとか下がったままじゃなくて、上がったり下がったりするものだと知りました。

 

もしそうだとすれば、この本を読んでいる時に何度も「自分の中の弱さやダメだと感じている部分のこと」を少し愛おしく思えたんです。

そして、完璧でない私と一緒にいてくれる家族や仲間たちに感謝の気持ちが湧きました。

そうしたら、とても心がポカポカしたんです。

だから、その瞬間は「自己肯定感」が上がっていたんじゃないかな? って感じたんですね。

そのことがとても嬉しいです。

 

本の帯に「あわよくば、生きるヒントに。」と書いてありました。

私の生きるヒントにまんまとなりましたよ。

 

ヨシタケシンスケさん、ヒントをありがとうございます!

 

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『10代のための疲れた心がラクになる本』を読みました

『10代のための疲れた心がラクになる本』長沼睦雄・著 誠文堂新光社 を読みました。

 

 なぜ読んだかというと、SNSでこの本の存在を知って気になっていたんですね。

そんな時に「大学生のHSC(ひといちばい敏感な子)と思われるお子さん」に、HSCの本を勧めてみようと思うという方がいらしたので、「読んだことはないのですが、良さそうです」と反射的に勧めてしまったのです。

 

勧めてしまってから、「読んだことがないのに勧めてしまった!」「大学生ということは10代ではなく、もう20歳を過ぎているかもしれない」「HSCでなくてHSP(ひといちばい敏感な人)なのでは?」と不安が出てきたので、まずは、自分が読んでみようと思ったのです。

 

もしも、本人が読む気があれば、小5のHSCの息子10歳も読んでくれてもいいなという思いもありました。

 

で、早速息子に勧めてみたのですが、今はまだ読む気がないようなのと、カナは振ってあるものの、小学生には少し難しそうな気がしたので、「また今度にしよっか」と今回は引き下がりました。

 

息子には、昨年小4の時に「お母さんは君のこと、このHSC、ひといちばい敏感な子というタイプに当てはまるんじゃないかと思っているんだけど、どう思う?」と言って、こちらの本を勧めたんです。

『HSCの子育てハッピーアドバイス明橋大二・著 太田知子・イラスト 1万年堂出版です。

手渡したところ、食い入るように読み始め、「僕もそう思う」と言いました。

巻末の「子どもたちへのメッセージ ひといちばい敏感な特性に気づくことで、自分らしく生きることができます」という章があるのですが、その部分もじっくり読んでグッときていたように思います。

 

HSCの子育てハッピーアドバイス HSC=ひといちばい敏感な子

HSCの子育てハッピーアドバイス HSC=ひといちばい敏感な子

 

 

 

HSCであると思われる我が子本人に、HSCであること伝えた方がいいのか? については、もしかすると賛否があるかもしれませんが、私は伝えてよかったと現段階では思っています。

我が家の場合は、家の中に『ひといちばい敏感な子』エレイン・N・アーロン・著の本が置いてあったし、旦那とその話をすることもあったので、息子は薄々自分のことを言っていると思っていたところがあります。

どのタイミングで話せば、この敏感な気質をプラスに取ってくれるだろうか? と思っていたところにこの「子育てハッピーアドバイスシリーズ」のHSC版が出たので、今だ! と思って勧めてみたわけです。

イラストも可愛くて、内容もわかりやすかったようでした。

しかも、「これ、俺だ」と笑顔で読んでいたので、肯定的に捉えてくれたと思います。

小学生、中学生にも読みやすいと思います。

もちろん大人にとっても取っ付きやすくて、HSCを知る最初の一冊としてもおすすめです。

 

それから、こちらもイラストが可愛くておすすめです。

『HSC子育てあるあるうちの子はひといちばい敏感な子!』太田知子・著 1万年堂出版

 

HSC子育てあるある うちの子は ひといちばい敏感な子!

HSC子育てあるある うちの子は ひといちばい敏感な子!

 

 子育てハッピーアドバイスシリーズのイラストを手がけている太田知子さんのご自身のご家庭のエピソードを4コマ漫画でたくさん描いてくれている本です。

こちらも息子も笑いながら読んでいました。

 

こうして書いていると、他にもたくさんHSC関連の本を紹介したくなるのですが、今日は、「子ども向け」ということで、『10代のための疲れた心がラクになる本』のことに話を戻します。

 

『10代のための疲れた心がラクになる本』は、HSCに絞って書かれている訳ではなく、ストレスとか、思春期の脳と心と体のことも書かれています。

今、まさに、思春期で心が揺れている中高生に取って、「信頼できる大人の専門家が心に寄り添ってくれている」と感じられる本だなと感じました。

小学生には少し早く、大学生や大人に取っては少し違うかな? とも思ったのですが、これがなんと読み進めるうちに、大人の私の心にもグイグイ刺さりまくりました。

多分それは、私自身が「自分軸」と「他人軸」の間で揺れているせいだと思います。

これを読むと、私もHSPの傾向がやはりあるのだと思いました。

 

私はこの本の「自分がない人」という部分がとても心に刺さりました。

 

少し引用させていただきます。

 

自我がうまく形成されていません。だから自分の心の境界線もよくわからないのです。

なぜそうなってしまっているのか。

生育環境で、自我をうまく育てることができなかったのです。

原因としては3つのことが想定されます。

一番目は、過保護、過干渉で育ったケース。

二番目は、幼いときに心に深い傷を負うようなトラウマ体験(虐待、ネグレクトなど)をしていて、それを引きずっているケース。

三番目は、もともと気質的に敏感で人の気持ちを読みとりやすいというケース。

 

『10代のための疲れた心がラクになる本』長沼睦雄・著 誠文堂新光社  P104~105より引用

 

そしてそのあと、どうしてそうなってしまいやすいのかの説明と、ではどうすれば良いのかということが書かれていました。

 

私はこの一番目のケースと三番目のケースの混合だと自分のことについて思います。

 

この辺りは、「自己肯定感」の大切さを知った後に、自分が実は自己肯定感が低いのだと気づいた時から、繰り返し何度も聞いていることではありました。

しかし、未だに、「私は私でいいのだ」と丸ごと自分のことを受け止めることができていないの現状なので、この本で、10代向けに書かれた方法をまた取り組んでみようと思いました。

 

平易に書いてくださっているので、実践できそうな気もするのです。

とはいえ、私にとってはそのトレーニングが難関のため、繰り返し読まないとできそうにないので、また熟読しようと思います。

 

結論から言うと、最初の「大学生のHSC(ひといちばい敏感な子)と思われるお子さん」に、HSCの本を勧めてみようと思う方には、『10代のための疲れた心がラクになる本』も『HSCの子育てハッピーアドバイス』も両方とも勧めたいですが、まずはお母さんに内容を読んでいただいて、今の大学生のお子さんにどちらがいいか考えてから勧めてもらうのがいいような気がしました。

 

敏感さとプラスに捉えて、イキイキと過ごせたらいいなと思います!

 

 

 

トマトなのにナスと比べて落ち込んでいないか?〜令和最初のつぶやき〜

ゴールデンウィークも5日目ですね。

半分過ぎました。

 

「まだ半分ある」と思う自分と「もう半分過ぎてしまった」と思う自分の両方がいます。

 

やるべきことが結構あるはずなんですが、なんとなくやる気にならず、大したことをしていないのに半分過ぎてしまいました。

 

「そんな風に過ぎてしまい、日々落ち込むような予感」がゴールデンウィーク前からなんとなくしていたのですが、想像していたよりは落ち込んでいません。

なんでかな? と思ったら、家族が楽しそうだからかもしれません。

家族が楽しそうだと家の空気がよくて、負の影響を受けにくいのかもしれないです。

そう考えると、機嫌がいいことって本当に自分のためだけじゃなく、家族や周りの人のためにもなるんだと改めて気づきました。

 

ゴールデンウィーク後半は、充実させるぞ! と思っていた矢先に生理になり、また天候もあまり良くなくて、気圧の関係、またホルモンの関係で後半もなんとなく過ぎてしまいそうです。

軽く頭痛、腹痛、倦怠感があります。まあ、仕方ないですが……。

 

後半は、幸か不幸か、それぞれの実家の家族と食事をすることになっています。

「時間があったはずなのに何もできなかった」という落ち込みは少ないのは楽ですが、「やりたいこと」というよりは「やるべきこと」のような気がするので、その辺りでモヤモヤする気がします。

 

なんやかんやと言い訳する自分がめんどくさいなと思います汗

 

そんな中で、ちょっと思ったことというか思い出したことがあったので書き留めておきます。

 

それは、“ありのままの自分でいること”と“成長したい気持ち”や“変わりたい気持ち”との矛盾です。

 

「そのままで素晴らしい」「そのままでいいんだよ」

そういう風に自分自身が思えたらいいなって思いながら、心からそう思えない自分がいます。

「変わりたい」「成長したい」と思う自分もいます。

だけど、「変化が怖い」と思う自分もいるんです。

 

自分でも呆れますが本当に矛盾しています汗

 

で、だいぶ前に聞いた話なんですが、さっき思い出しました。

 

“「できない」を「できる」にしようとする時、今「できない」のは、準備が整えばできるようになるものなのか、それともトマトなのにナスとして見ているからなのかの視点を持つことも大切”

“例えば視力がもともと低いのに頑張れば見えるようになると言い続けていないか?”

 

これは「子育て」を「子育ち」という視点で見ようという話を、信頼する学びの仲間から聞いたのですが、子育てだけではなく、自分にも言えるなと思ったのです!

 

自分は「トマト」なのに立派な「ナス」を見て、あんな風になれないって落ち込んでいないだろうか?

 

「トマト」としてもっと成長したいと思って、そのための方法を「変えること」は必要かもしれないけれど、そもそもなれない「ナス」になろうして心身を消耗していないだろうか?

 

この例でいうと、私は、もっと素敵な「トマト」になりたいと思うことは健全であるけれど、「ナス」になろうと思うことが辛く、怖いのかもしれないです。

 

……と合点がいき、全てがクリアになった気がしたのですが、はて? 私は、「トマト」なのか? 「ナス」なのか? すらわかっていないことに気がつきました汗

 

また悩み始めそうですが、「イエスかノーか」「白か黒か」と言った二者択一をしたくなったり、どうしたらいいかわからない時は、目の前のことに取り組むことが大切と聞いたことがあるので、気持ちの落ち着かない「今」はとりあえず、目の前のことを取り組みます。

 

「考えること」

「感じること」

「人の話を聞くこと」

「聞いた話を自分ゴトとして捉えること」

みんな大切なことだけど、今は、それが混乱しているようです。

 

令和、初日のブログは、とりとめのないつぶやきになってしまいました汗

 

とりあえず、そろそろ風呂掃除や夕食作りなどに取り掛かります笑

 

 

平成最後の日に気づいた「平成」への思い

ベタではあるけれど、今日は平成最後の日なので、やはり「平成」という時代を振り返ってみたい。

 

平成元年(1989年)1月、私は高校1年生の終わりだった。

全く改元あたりの記憶がないけれど、16歳だったのだということになる。

あ、繰り返しみているからか、もちろん小渕さんが「平成」という額を持っている例の映像は覚えている。

だたその瞬間をテレビで見たのか、あとで知ったのかは全く覚えていない。

 

昭和天皇の大喪の儀をテレビで拝見したことは覚えている。

新しい時代が来たという喜びよりも、悲しみの方が強かった記憶がある。

だから、今回の改元のような少し希望を持ったような気持ちではなかったことを今思い出した。

 

「平成生まれが今度入社してくるんだって」

そんな風に新入社員のことを言ってから久しい。

けれど、その辺りから「平成生まれ」「昭和生まれ」と区別が始まって、苦笑いしながら過ごしていたけれど、考えてみれば生まれたのは「昭和」ではあるけれど、生きてきた時代は圧倒的に「平成」の時代なんだなって思うと感慨深い。

 

初恋は「昭和」だけれど、初めて彼ができたのは「平成」だし、就職したのも結婚したのも「平成」、息子を産んで母親になったのも「平成」。

 

こうして見ると、「昭和」に産んでもらい「平成」に育てられた気もする。

なんか変な例えだけれど……。

 

ああ、こうして書いてみて、「平成」に対して気持ちがようやく寄り添えた気がする。

「平成」の時間を過ごしながら、なんだか源である「昭和」に重心を乗っけていた気分だった。

「昭和」も好きだけど、なんだ「平成」も大好きだったんだなって今思えた感じ。

平成最後の日に、その実感が味わえてよかった。

 

改元だからか、ちょっと感傷的になっているのかもしれない。

 

今朝から、今日はちょっと気持ちが落ち着かないのだ。

ソワソワしている。

 

「令和」を迎える前に、「平成」に心から感謝したい。

いい時代だった。

つらく感じる時期もあったけれど、楽しい時間も多かった。

 

本当にありがとうございました。

 

具体的なことを振り返ろうと思ったけれど、31年はそれには長すぎた。

新しい元号になり、襟を正すというか、気持ちは新たなるけれど、それでも「昭和」「平成」と過ごして来た時間の続きではあるので、過去は大切にしつつ、今を生き、未来を作っていきたい。

 

そんなスタンスでいるとまた「令和」に対してもどこかぎこちなく「私は昭和の生まれの人間だから」と斜に構えてしまう可能性もあるので、そこは気をつけたい。

 

ということで、あと半日となってしまった「平成最後の日」を過ごそうと思う。

 

HSP・HSCが広まりつつある中思うこと

HSP・HSCという概念がだんだんと広まってきている

 

最近、HSP(ひといちばい敏感な人)・HSC(ひといちばい敏感な子)という概念がだんだんと広まってきているのを感じています。

 

最近では、TOKYO MXテレビの「田村淳の訊きたい放題」という番組で「HSC」がとりあげられましたし、教育新聞にも「不登校対策『人一倍敏感な子供』への理解を」という記事が載り、そこで「HSC」について触れられていました。

また、これはまだ先ですが、NHKの「バリバラ」という番組のHPで「HSP・HSC」について悩みなどのメッセージが募集されています。近々特集されるのかもしれません。

 

こうして広まってきていることを嬉しく思うのと同時に、改めて感じているのは、一口に「HSP」・「HSC」と言っても、本当にいろいろな特徴の人がいるということです。

「敏感」とか「繊細」と言っても、何に対してどれくらい敏感なのかは本当にさまざま

それがわかったのは、息子以外の「HSC」の子の様子を知ったからです。

「HSC書籍制作プロジェクト」に参画して、いろいろなことを体験できましたが、自分たち以外のHSC親子のみなさんと出会えたことも財産です。

似ているようで一人ひとり違うんですよね。

息子を育てていることで「HSC」を知った気になっていたことを反省しました。

 

ちなみに、息子のことはおそらく「HSC」だと思っていますが、私自身は「HSP」かどうかよくわかりません。その傾向を感じることもありますが、とても敏感な人のお話を聞くと、自分はそこまでは繊細ではないと感じるからです。

 

また、「HSC」について学ぶにつれて、正確に理解することはとても難しいなと感じています。

いや、もしかすると、私が難しくしてしまっているだけなのかもしれないのですが、正確に理解し人に伝えることって簡単ではないと感じます。

だからこそ、改めて理解を深めたいと思っています。

 

それから、最近思うことは、同じく「HSC」「HSP」の当事者の方でも、

・どうしたいのか?

・どう捉えるのか?

もそれぞれ違うということです。

 

「どうしたいのか?」については、例えば、「学校との付き合い方」もそうだし、「認知の広まり方や広め方」、「配慮を求めるのか?」「配慮を求めるよりもむしろ別の選択肢を認めてほしいのか?」など。

また、「どう捉えるのか?」についても、【気質の特徴】を「ポジティブに捉えるのか?」 あるいは、「ポジティブに捉えたいと思いながらも現状として「生きづらさ」があるため、まずはそう思うに至った「トラウマ」について向き合う時期だと感じているのか?」 など。

それぞれの敏感さの度合い、何に対して敏感なのか? 環境や、現状によっても違うんだと思うんです。

 

どれが正解でどれが間違っているのかではないと思うのですが、違いがあるんだなと感じているということです。

 

それと同時に、私自身、どうしたいのか? どう捉えるのか? について、まだよくわかっていないことにも気づきました。

なので、まずは書き出して考えてみようと思ったのです。

ということで、今回は、「HSCという概念との出合い」と「今の息子の様子」について書こうと思います。

 

HSCという概念との出合い

 

私が初めて「HSC」を知ったのは今から約5年前、息子が幼稚園の年長の頃でした。

『ひといちばい敏感な子』エレイン・N・アーロン著 を精神科医スクールカウンセラーである明橋大二先生が日本語に訳してくれる少し前に、確か一万年堂出版のHPに書かれた記事で「HSC」という言葉に出合ったのが最初でした。

 

「これだ!」

なぜ、こんなに泣くんだろう?

どうして、こんなに私と離れることを嫌がるんだろう?

周りと比べて何か違うと感じ、不安だった私は、「息子だけではなかったんだ」という安堵に包まれて気持ちが楽になったことを覚えています。

 

その後、『ひといちばい敏感な子』の日本語版が出て、さあ、これでこの概念が広がるぞ! と期待したのですが、そう急には広まりませんでした。

 

私も個人的に、お子さんの敏感さに困っているお母さんがいた時に、この人なら話してもいいかな? と判断し、何人かに伝えたこともありました。

 

その反応は様々で、私と同じように「知ることができて良かった」とホッとした人もいれば、「新たなラベリングだ」とか「そうだとわかったところで、周りに配慮は求められない。結局敏感でない人の多い世の中で生きていかないといけないわけだから」と、お知らせしたことが返って申し訳なかったことだったかもしれないと思うこともありました。

 

そこで、私も少し萎縮してしまい、本当にこの人なら、話を聞いてくれるだろうと思う人にこっそり話す感じになっていました。

 

こうして「世間に概念が広がってほしい」ということと同時に私が願ったことは、息子の幼稚園の先生や、学校の先生など身近な大人に「息子の特徴を知ってほしい」ということでした。それは合わせて「できるだけ配慮してほしい」という気持ちでもありました。

 

息子の気質についてどう伝えたか?

 

そこで、私が気をつけたことは伝え方です。

「HSC」という言葉を使うかどうか迷いました。

当時は、まだ今ほど本も出版されていませんし、ネットやテレビや新聞などにも載っていませんでした。

だから「HSC」と言うと返って正確に息子の特徴が伝わらない気がして、使うことが躊躇われました。

それで、「息子は慎重なところがあり、初めてのことや慣れていないことに対して不安がります。また見通しの立たないことに対しても不安を感じやすいです。気にかけていただけるとありがたいです」と言うようなことを文章にしたり、口頭でも、折に触れて伝えました。

また、伝える時や、特別な対応をしてくれた時は、「いつもお世話になっております」「気にかけていただいて本当にありがとうございます」となるべく謙虚に感謝を込めて接しました。

 

そんなに下からお願いすることもないのかもしれないですが、先生も人間ですし、息子以外の多くの子どもの対応が大変な中配慮を求めるわけですから、できるだけ心証をよくしておきたいという打算的な思いもありました。もちろん、本当に有難いなと思っていましたけれど……。

 

幼稚園も比較的、多様な子を受け入れるところだったので、先生たちも息子の個性を理解して対応してくれることが多かったです。

しかし中には厳しめの先生もいて

「男は泣くんじゃないよ」

と言われたこともありました。

 

私も人目を気にして

「家で泣いてもいいけど、外ではあまり泣かないようにしてほしい」

と息子に話したこともあって、今思うと可哀想なことを言ったなと思います。だけど、同時に、その時の私は私でそう言わざるを得ないほど追い込まれていたのです。

 

その時の息子の言葉が印象的で今でも覚えています。

「泣きたくないけど、勝手に涙が流れてきちゃうんだよ」

そうなんですよね。そうなんだろうと思います(泣)

 

「学校の先生のための20のヒント」を伝える選択肢と今の息子の様子

『ひといちばい敏感な子』の本の最後の方に「学校の先生のための20のヒント」というのがあります。

それをコピーして学校の先生に渡していいと明橋先生にお会いした時に言われました。

本当にそうしようかと思ったのですが、なぜか躊躇われました。

 

いざ、「HSC」を口にしようとすると「あなたの接し方に不満があります」と責めたりしているように取られないかという不安に包まれるのです。

できるだけ波風を立てないように、先生を傷つけないようにという意識が強まってしまうのです。

 

結局、この概念を知って5年経ちますが、幼稚園の先生には結局「HSC」という言葉を口にすることはできませんでした。

小学校も1、2年の先生には言えず、3年生の時の先生と、4年生の時の先生には、学年の後半、私も先生と話し慣れた時期に「いつもお世話になっています」と言いながら、「実はHSCという概念があって、息子もそれなのではないかと思っているんです。これは、発達障害ではなく気質なんです」くらいの説明しかできませんでした。

しかも「そういうのがあるんですね。知りませんでした」くらいの反応でした。

 

今、息子は5年生になりました。

小学校には慣れて、友だちも少ないながら何人かできました。

苦手だった避難訓練も、自分で予定表で確認し心の準備をしてその時間を迎えることからだいぶ慣れてきました。

4年生の先生から「お子さんの特徴の引き継ぎはしてあります」と聞いたし、今、息子は落ち着いています。

 

さあ、今年、先生に「HSC」について話そうかどうか、今もまだ迷っています。

もしも、これから、具体的に心配事が出てきた時に「実は……」と話すか、その前に話しておくか……。

 

息子の気質について話すのは個人の問題ですが、「息子の気質のみ=HSC」であると伝わってしまうのは本意ではなく、また違うと思うので、「HSC」という言葉を使うとしたら、しっかりと理解してから伝えるか? あるいは、新聞とか書籍のコピーを見せながら伝えるかはした方がいい気もします。

 

では、これからどうしたいか?

 

ここまで書いてきて、今言えるのは、

“みんな違ってみんないい”

“一人ひとりの個性が尊重された社会になってほしい”

と思っているということです。

 

そこは変わらず思っているのですが、いろいろな人の意見を聞けば聞くほど、自分が具体的にどうしたいのか? どう思っているのか? がよくわからなくなっているのが現状です。

 

これから少しずつ気持ちを整理しながら、どう生きるのか? も含めて考えていきたいと思っています。

 

また、書きます。

 

https://s.mxtv.jp/variety/kikitai/panel_detail.php?id=7472208&month=201904

 

https://www.kyobun.co.jp/commentary/c20190418/

 

https://www6.nhk.or.jp/baribara/message/form/index.html?i=1044