涙と笑顔のあいだ

HSC(ひといちばい敏感な子)中1ひとりっ子男子の子育てを通し成長させてもらいながら、日常のモヤモヤの純度を上げるべく綴る40代主婦のブログ

「仕事しない手だね」って言われてた頃の手に戻りたい願望が実はあったみたいだ!

「仕事しない手だね」

まだ独身の頃、手を見てそう言われた。

誰に言われたのかは覚えていないけれど、今から15年くらい前のことだったと思う。

 

そう言われて、イラっとしながらも、自分の手をまじまじと見てみると、確かに、白くてふっくらとしていた。

 

仕事をしてないねと言いたかったのか?

それとも、綺麗な手をしていると言ってくれたのか?

その真意はわからないけれど、確かに、水仕事はほとんどしないし、母に、ご飯の用意も洗濯も頼んでいたんだ。

そうだ、甘えていたんだよね。

 

結婚して新生活が始まり、慣れないながらも、炊事・洗濯・掃除とひと通りの家の仕事をするようになって、年も重ねて、だんだんと節くれだった手になってきた。

 

冬場になると、あかぎれで血だらけになったり、乾燥し過ぎて、ビニール袋が開けられなくなったりしている。

 

もう、仕事しない手とは呼ばせないぞ!

そう意気がってみても、あの白くてふっくらとした手には戻れはしない。

 

ああ、そうやって、年齢のせいにしてみても、多分、同じくらいの年齢の人でも、ちゃんと手入れの行き届いている人は、年を重ねて手の作りが大人になったとしても、仕事をして、ふっくらとしていなくても、その人の美しさというのは表せるのかもしれない。

 

私みたいに、最初から諦めていたら、ずっと血だらけのままなのかもしれない。

それはちょっと悲しいな……。

 

そんな風に思っていた時、あることを知った。

どうやら、私が好んで使っている台所洗剤は、「弱アルカリ性」のため、余計に手が荒れやすいのだということを!

え!? そうなの? 知らなかったよ!

 

洗浄力が気に入っていたけれど、洗浄力が高いということは、手の油分も持って行かれるということなのかも……。

 

この冬、ちょっと冒険をして、これを買ってみた!

 

キュキュットハンドマイルド カモミールの香り 本体 230ml

キュキュットハンドマイルド カモミールの香り 本体 230ml

 

カモミールの香りの好き好きはあると思うけれど、私は結構気に入った。

手の荒れも、昨年に比べて、やわらいだ気もする。

気になる洗浄力は、これがなかなか優秀で、スッキリ洗えるから、本当にすごい!

 

あ、でも、今年の手荒れが、まだましなのは、これのおかげだけではないと思う。

 

無頓着な私だけれど、実は、最近迷い込んだ化粧品のお店「L'OCCITANE(ロクシタン)」で、ネイルオイルというのを購入したのだ!

それをできるだけ、夜寝る前につけているので、あかぎれは減ったのだと感じている。

 

私の性格上、目の前にある「不都合」「不便」は、よくいうと受け入れてしまい、悪くいうと、改善しようとあまり思わないのだけれど、

「もしも、手が荒れてなかったら、よくないですか?」

「血だらけにならないで済むとしたらいいと思いませんか?」

そうした声なき声に導かれて、改善してみようと思えたことは、幸いだった。

 

とはいえ、台所洗剤は、今まで買っていたものを買い控えて、新しいものに買い換えるという形だから、新たな持ち出し金はないけれど、ネイルオイルは、結構、庶民の私にとっては安くはないし、迷うところではあった。

でも、あかぎれに悩まされる時間を考えると、そうでない時間を手にすることができるのなら、高くはない気もする。

 

「L'OCCIANE」のお店に行くと、そうした私も気がつかなかった美への潜在的な願望に気づかされる。

ちょっと値が張るな……と思って、もちろん全てに手は出せないけれど、ワクワクしたり、心地いい時間が手にできそうな期待感に包まれて、いい気分になることが多い。

 

そう考えてみると、どのお店も、そこに足を運んでくれた人の潜在的な願望に、アクセスできれば、喜んで、買い物をしてもらえる可能性があるんだなって思う。

 

あれ? なんの話だったけ?

 

そうだ。手荒れの話だった。

 

血だらけではないものの、まだカサカサしているので、冬場は、ちょっと面倒でも、ビニール手袋をして食器洗いをしようかな?

 

多くの目の前の「不都合」や「不便」には、頭をひねれば、対応策があるのかもしれない!

小さなことだけれど、改善してみようという気持ちなった今回のことは、私にとって大きな一歩だ。

この気づきに感謝したい!

 

 

 

 

初めて、旧年中に、年賀状の準備をしなかった元旦にポストを覗いて感じたこと

あけましておめでとうございます!

今年もよろしくお願いいたします!

 

今年は、もう少し、ブログの更新頻度をあげていきたいと思っています。今は……。

 

まず、今日は年賀状について思うことを書こうと思います。

 

今、現在、交流させていただている方々とは、リアルに出会ったとしても、住所を聞き合うことは少なく、FacebookLINETwitterなど、SNSを通じて連絡を取り合っている方が大半なので、そもそも年賀状を出し合う人というのは、昔から交流させていただいている方々です。

 

昔から交流していると言いながら、実際には、あまり会えていない人が多いです。

年賀状を書いているときは、今年こそ会いたいな! 会おう! と思うのですが、結局、なかなかお互い忙しかったりして、具体的な日程は決まらず、結果的に「年賀状だけの付き合い」というものになっていってしまっています。

 

そういった状態に少しの疑問を持っていたのは事実なのですが、今回は、それとは別の理由で、物心ついて初めて、年賀状を旧年中に準備しませんでした。

 

準備しなかったのか?

準備できなかったのか?

自分でも良くわからないのですが、身体的な忙しさと、精神的なせわしさ、そして、どうしても気乗りしないといった感情の沈みが伴い、「今年は申し訳ないが、いただいた年賀状に返信させていただこう」と大晦日に決めたのです。

 

決めながら、本当にそれでいいのか? と思い、自分を責めましたが、どうしても、書く気にならず、そう決めました。

 

で、本日、元旦、ポストには、年賀状の束が配達されていました。

それを手にしたとき、いつもはワクワクする瞬間のはずなのに、今年はむしろため息が出てしまいました。

嬉しくなかったわけではありません。

でも、罪悪感に苛まれてしまいました。

それでも、1枚1枚読ませていただきながら、ああ、離れても、年に一度でも、こうして、私のことを思い出してくれるってことは、本当にありがたいことだなと感じました。

そうしたら、昨日まで、あれだけ、書く気がなかったのに、早く返事が書きたくて仕方なくなりました!

 

近所の初詣の帰りに、大きな郵便局に行き、特設のテントで販売しているインクジェットの年賀状を買いました。

大好きな「いらすとや」のサイトで選んだイラストを年賀状に印刷し、今さっき、21枚の年賀状の返事を書き終えました。

 

「年賀状ありがとうございました」そう書きながら、1枚1枚、胸がチクっとしました。

でも、新年に、返信として年賀状を書きながら、毎年、年末に書いているよりも、相手のことを思いながら書けていることにも気がつきました。

 

いつもだいたい元旦に年賀状がついている私の年賀状が今年はなくて「年賀状ありがとうございます」と書かれた返信がおそらく1月4日過ぎに届くことで、来年は、もしかすると、その人たちの年賀状を書くリストから外されてしまうかもしれない。

それは、仕方のないことだし、自分で蒔いた種です。

 

今回、年末に年賀状を準備しなかったことについて、選択として最善ではなかったかもしれないけれど、自分の気持ちに素直にしたがったことは自分自身で認めようと思います。

 

今回のことで、SNSとは違った手書きの温もりのような良さを改めて感じたことや、あの時があって、今があるんだという実感が感じられたことはよかったなと思っています。

 

今年の年末、来年の年賀状についてどうしようかはまだ決めていないけれど、その時の感情にまた委ねてみたいと今は思っています。

 

今のワクワクをその時イメージできたら、もしかすると進んで、書こうと思えるかもしれません。

 

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“HSC書籍制作プロジェクト” 第1章のリライトにチャレンジ決定!

参加中の“HSC書籍制作プロジェクト”の前回のミーティングで、主催者のkokokakuさんの旦那さまで精神科医の方が書かれた文章を、一般の人にもわかりやすく書くことに挑戦することになった。

 

「1章、2章、6章の中で、取り組みたい章や項目を選んでみてください」

kokokakuさんにそう言ってもらい、すでに書かれた原稿をすぐに送ってもらった。

 

送ってもらってすぐに読みたかったのだけど、息子の保護者会や、習い事の付き添い、家事などがあり、その日は、読めなかった。

 

翌日は翌日で、仕事があり、その次の日はクリスマス会の買い出しがあった。

 

やりたいことなら、すぐにでも取り掛かれば良いのだけれど、大切なものだと思えば思うほど、構えてしまって、片手間に手をつけられないものだと改めて感じた。

 

でも、読まなければ、進まない。

 

ようやく、3連休の中日に、まとまった時間ができたので、読む時間に当てることができた。

本当はプリントアウトして、線でも引きながら、読み進めたいと思ったのだけれど、あいにくプリンターのインクが切れていて、印刷できず、パソコン画面のまま読ませてもらった。

 

私が参加する前に、書籍の目次が決まっていたのだけれど、その読ませていただいた原稿は、必ずしも、それに沿ったものではなかった。

 

kokokakuさんによると、その原稿は、随分前から、書籍化を考えて書かれたものらしかった。

 

そう聞くと、さらに、身が引き締まる思いだった。

 

第1章は、大まかにいうと、「HSCとは……」というような、HSCのことをまだよく知らない人のために書かれた説明だった。

 

HSCについて、私自身は今から4年前に知ったし、いつも一緒に暮らしている息子にその特徴があるしで、かなり身近な存在なので、その文章は、うんうんと頷きながら、すんなりと読み進められた。

 

これって、直す必要があるのだろうか?

そんな思いすらあった。

確かに、少し堅い感じもするけれど、読みにくいわけではない気がした。

 

次に、2章と6章にあたる文章を読んでみた。

こちらは、「私は……」と主語が、はっきりとした文章だった。

kokokakuさん、あるいは、ご主人の、「息子さんを受け止め、親として覚悟し、力強く支えていこうとする気持ち」が感じられ、胸が熱くなった。

これは……。

これは、このままご本人が書かれた方がいいのではないだろうか?

書き直すことに尻込みするくらい、素晴らしい文章だったのだ。

 

そうかと言って、第1章を胸を張って引き受けますというほどの自信もなく、大変なことを引き受けてしまったように思えてきた。

 

でも、せっかくだから、何か、お手伝いしたい。

最初から、うまくできなくても、諦めない思い、著者の思いを受け止めたいという気持ちを持って臨めば、もしかしたら、できるかもしれない……。

 

そう思って、kokokakuさんにメッセージを送った。

 

「どのように書き直して良いかは、今から、考える段階ですが、もしよければ、第1章のリライトにチャレンジさせてもらっていいでしょうか? その際、『こんな風に』とかアドバイスをいただけると幸いです」と。

 

すると、その旨了解ということと、早速いくつかの依頼を受けた。

①「小学生でも読める」読みやすさや言葉選びをお願いしたいです。

②見出しも本文も、堅い表現が多いので、優しくまろやかな感じになったらいいなと。

 

そのほかにあとふたつ依頼を伝えてくれたのだけれど、アドバイスを求めて、すぐにそれをいただけるありがたさと、それ以上に、もう明確に、イメージがあるんだなって思って、それってすごいなって思った。

 

「あとはみかりんの腕にお任せします!」

え?

その一言は、嬉しさと同時に、緊張をもくれた。

 

そのあと、緊張するが、頑張ってみることと、ダメ出しをもらっても、何度も書き直す気持ちはあるので、何でも注文してほしいということを伝えた。

 

さあ、では、早速!

と言いたいところなのだけれど、時、同じくして、仕事の引き継ぎがあり、そのマニュアルをこの年末年始で作らないといけないミッションがあるのだ。

 

来月の半ばから本格的に集中する予定であるので、少し時間が欲しい旨を伝えた。

 

ああ、それにしても、すごいことを引き受けてしまったものだ。

わかりやすく、書くって、本当に難しいことだなあ。

よく知っていること、慣れ親しんだことだからこそ、何も知らなかった時の自分に戻って、伝え方を考えないといけない。

でもそれが、できるようになったら、最強だな、何に対しても。

 

成長する機会をもらって本当にありがたい。

できないからこそ、できるように努力するチャンスなんだと、自分自身に言い聞かせながら、まずは原稿を読み込むことから始めてみようと思う。

 

クリスマス会の飾りを作りながら、流したYouTubeは……

体調を崩した。

本当に久しぶりに……。

 

普段元気な人の元気がないと心配なのか、本当に、家族にはよくしてもらった。

 

「声が出ない」

と言っただけで、のど飴を持ってきてくれた息子。

 

「ちょっとだるい」

そう言ったら、買い物に行ってきてくた旦那。

 

ありがたいな……。

 

でもな、熱もないし、ある程度動かないとな! そう思って、風呂掃除をし、布団は敷いたよ。

 

動いていると、あ、この人大丈夫なんだ! と思われたのだろう、扱いが、通常に戻った。

 

だよね? その気持ちわかるよ。

ちょっと残念だけど、それもまだ嬉し。

 

ゆっくりしようと思ったら、多分、強引にゆっくりしようとすればできなくもないんだけど、明後日のクリスマス会の飾りを作っていなかったことに気がついて、息子と一緒に挑んだ。

 

「まずは、どうしたら良い?」

そう聞かれて、まずは折って、その線で切って……と指示を出したら、息子は、丁寧に作業していた。

そこで私も参戦し、息子が切った短冊状の赤と緑の色違いの折り紙で、交互に輪っかを作っていく、あの、おなじみの飾りだ。

 

無言で2人で作っていたら、なんか曲を流そうということになり、最近一緒によく観ていたQUEENLIVE AIDの時の映像をYouTubeで流そうとしたら、

「飽きた」

と言われた。

「あ、そう」

そう言って、今度は、この前、息子が読んだという落語絵本の「まんじゅうこわい」という落語の動画あるのを発見したので、それを流した。

「あー、こういうことか」

頭の中の話を思い出しながら、笑っていた。

 

QUEENの曲をいいと言ったり、落語で笑ったり、だんだんと、大人っぽくなってきてるんだな、息子は……。

 

クリスマスの飾りを作りながら、落語を流す……。

なんともミスマッチな組み合わせだけれど、どうにか35分かけて飾り作りは終わった。

 

心なしか声は出るようになった。

 

まだだるさは残っているけれど、今日は今日で悪くない一日だったと思う。

 

 

 

“HSC書籍制作プロジェクト”の【Zoomミーティング】への初参加!

「ぜひ! チャレンジさせてください!」

気がついたら、そう言っていた。

 

今日のZoomでの打ち合わせの時、なんだかわからないけれど、やってみたい! って思いが湧き上がってきたのだ。

 

打ち合わせが終わってからも、私は、興奮状態だった。

旦那と、親しい友だちにメッセージを送った。

 

「文章を書かせてもらえることになったよ! 専門家の方が書いた論文のような文章を一般の人に読まれやすい、わかりやすい文章にするというミッションなんだ! ライターとしての勉強になるし、何より、興味があることだから、嬉しい! ドキドキするけれど、チャレンジしてみるよ!」

 

半日たった今、無謀な挑戦かな? 私がやらせてもらっていいだろうか? 本当にできるかな? という気持ちも、生まれている。

でもそれ以上に、挑戦したい気持ちが勝っている。

 

私が、参加したZoomでの打ち合わせというのは、こちらのブログにも10日くらい前に書いた、私がクラウドファンディングで支援させてもらった、あるプロジェクトの仲間との打ち合わせのことだ。

 

そのプロジェクトというのは、“HSCを守りたい”プロジェクト!

 

HSCというのは、Highly Sensitive Childの略、日本語では「ひといちばい敏感な子」と訳されている。

この特性を持つ子は、5人に1人存在する。

 

敏感で繊細、だから不登校になりがちな子供と親がもっと幸せに感じる社会にしたい

 

その思いに共感し、“一緒に本を作る”という形の支援を私は選んで参加した。

 

私以外にも多くの人の心を動かしたそのプロジェクトは、最初の目標である800,000円を大きく超え、ネクストゴールである1,300,000円も超え、なんと、2ヶ月で、216人1,335,777円で終了した。

 

私は支援者のひとりという立場でありながら、その結果に、心を熱くし、とても幸せな気持ちになった。

 

しかし、そのクラウドファンディングの終わりは、、ひとりの支援者だった私が、ひとりの共創のメンバーのひとりになった瞬間でもあった。

 

追加で募集された枠で参加したので、すでに“HSC書籍制作プロジェクト”は始まっていた。

Facebookでまずはやりとりをしていたようだけれど、ちょうど、slackというワークスペースを使うことになったというタイミングでもあるようだった。

 

プロジェクトを主催しているkokokakuさんはとても細やかな方で、後から入るメンバーである私たちや、最初からいらっしゃるメンバーの方にも、声をかけ、馴染みやすいように配慮してくれた。

 

「まずは、今までのやりとりと見ていただき、いいタイミングで入ってもらっていいです!」

 

そう言ってもらって、緊張していた心が落ち着いた。

本当にありがたかった。

 

しかし、Facebookのやりとりを拝見し、私の体は固まった。衝撃を受けたのだ。

それは、想像以上に、メンバーのみなさんが、アクティブに意見を交換していたからだ。

す、すごい……。

しかも、進捗の管理や、仕事の分担などの話も進んでいて、ひとりひとりが自分のできることを進んでやろうとしていた。

圧倒された。

私にも、何かできることは、本当に、あるんだろうか?

 

slackにすぐに入ることも考えたが、ちょっと様子をみようと思ってしまった。

 

ちょうど仕事が忙しく、それを言い訳にしながら、数日、slackには入ることができなかった。

気後れしてしまったのだ。

 

でも……。

 

すぐにできることは、もしかしたら、何もないかもしれない。

でも、そこに入ってみないことには、何も始まらない……。

 

そう思って、思いきってslackに入ってみた。

すると、ちょうどその日と数日後に、参加自由の【Zoomミーティング】が企画されていた。

残念ながら、その日は時間的に合わなかったので、数日後、つまり、今日の午前中のそれに参加することにした。

 

いよいよ始まるのだ!

そう思うと、身が引き締まる思いだった。

 

恐る恐る、送ってくれたリンクをクリックしてみた。

すると画面から何回か設定に関する質問をされ、繋がった。

あ、kokokakuさんだ!

 

何を話そうか? なんて思う前に、このプロジェクトを立ち上げてくれたことへの感謝の気持ちが口をついて出た。

 

参加する前のアンケートで見ていたように、22時ごろに都合がいい人が多いようで、今日の10時の回は、私を含めて3人の参加だった。

 

多くのメンバーのみなさんとの交流ができなかったのは残念だったけれど、少人数ならではの、ゆっくりとした会話もできた。

 

その中で、私が、ライティングの勉強をしていたことや、数ヶ月前まで、3年くらいブログを毎日書いていたことなどを話した。

「文章を書くことは好きです!」

 

今まで決まったことを説明してもらう中で、kokokakuさんの旦那さんで精神科医の方が書かれた専門的な文章を、一般の人にもわかりやすくすることを誰かにやってもらえたらいいと思っているという話を聞いた。

 

え? じゃあ?

「ぜひ! チャレンジさせてください!」

気がついたら、そう言っていた。

 

場違いかもしれない。

力不足かもしれない。

でも、私もずっと持っていた「HSCを広めたい! 多くの人に知ってほしい!」という想いを実現する手伝いができるのだと思ったら、手を挙げずにはいられなかった!

 

まだ、直接お話ししていないけれど、メンバーの中には、さまざまなきっかけ、想いを持って参加している人がいらっしゃる。

お子さんが小さくて、自由になれる時間が少ない中、何かできることはないかと思っている方や、ご自分の得意なことを、すでに発揮されている方もいる。

 

これから、メンバーの方々と、共創していくことが、楽しみでならない。

 

できること、やりたいことから、少しずつ、微力ながら、進めていきたい!

出会いに感謝しながら、今、そう思っている。

 

 

 

“HSCを守りたい”プロジェクトを支援させていただきました!

「わ!」 

camp-fire.jp

 このプレジェクトを知って、私は、息を飲んだ。

すごい! すごいよ!

この活動をされているのはkokokakuさん。

HSCのお子さんの子育てをされているお母さんで、心理カウンセラーでもいらっしゃる方。

HSCを広めたい! 敏感で繊細な子供と大人がもっと幸せに感じる社会を作りたい!

その思いで、プロジェクトを立ち上げ、クラウドファンディングに挑戦している!

そのことを知っただけで、胸が熱くなり、心から応援したいと思った。

 

だけど、ほんの少しだけ、心がチクっと痛かった。

それは、私がやりたいと思い、やろうとしながら、怖くて怖くてできなかったことだったからだ。

それをやっているkokokakuさんが眩しかったのだ。

 

具体的には、kokokakuさんは、本を作るという活動のために、クラウドファンディングに挑戦していて、私は、その本作りに参加できるという支援を選びたかった。

残り1枠。

どうしよう……参加してみたいな……でも……。

 

私が迷っていたのは、参加するということ自体に、少しの戸惑いがあったことと、今、息子は、いいバランスで生活をしているからだった。

 

HSCをいう気質を持ちながらも、今自体は、友だちにも、ママ友にも恵まれ、息子も、私も、繊細である部分を個性として、温かく見守ってもらえている状態でいる。

 

だから、繊細であるが故に、悩んでいる方々と、今、一緒に分かち合えるだろうか?

そんな自分がその場に参加していいのだろうか?

 

そんなことも考えてしまった。

 

そうこうしているうちにその貴重な本作りの枠の支援はいっぱいになってしまった。

がっかりしたのと同時に、ちょっとだけ、ホッとした自分もいた。

 

出来上がった本を一冊いただけるという支援をさせていただき、複雑な思いで、クラウドファンディングの行方を見守っていた。

そんな時だった。

本作りに参加できる枠が追加されると知ったのは!

 

ホッとしたはずだったけれど、実際に、目の前に、チャンスが舞い降りてきたら、迷わず、支援したくなった!

やっぱりやりたかったんだ!

 

kokokakuさんからお忙しい中、温かいメッセージをいただき、私は、嬉しくなって、返信を打った。

 

自分ができなかったことをやっているkokokakuさんを尊敬していること。

4年前に「HSC」を知って心が救われたこと。

明橋大二先生に直接会ってお話したくて、「子育てハッピーアドバイザー養成講座」に言って、子育てハッピーアドバイザーになったのに、勇気がなくて活動ができていないこと。

HSCを広めてたい! 繊細な子どもと大人がホッとできる場が作りたい! と思いながら、行動できていないこと。

など……。

 

すると、また、話を聞きたいと言ってくれて、また、とても嬉しかった。

 

ひとこと、繊細と言っても、もしかすると、息子は、それほど繊細ではないのかもしれない。

繊細さを本人や、周りが肯定的に捉えられる環境にたまたまいるのかもしれない。

これからも、どうにかやっていけるかもしれないけれど、これから、もっと難しい問題が出てくるかもしれない。

 

だけど、確かなのは、一人一人の個性が大切にされて、生かされる世の中になったらいいなと思っていることだ。

 

HSCに限らず、個性が尊重される世の中になったらどんないいだろう!

 

そんな日々、迷いながらも私だけれど、微力ながら、お手伝いできることをとても嬉しく思います!

 

明日12/10 23:59 まで ということです!

一人でも多くの人に、応援していただけたらいいなと思います!

 

camp-fire.jp

息子の10歳の誕生日が間近にせまって思うこと

もうすぐ、息子が10歳になる。

 

ああ、年齢が二桁になるんだな。

 

ひとつ、ふたつ、みっつ……ここのつ、そして、とお。

 

ああ、もう、〇〇つって数えないんだな。

 

そう思うと、早く大きくならないかなって、ずっと思っていた癖に、なぜだか、ちょっとだけ寂しくなる。

 

まだ読んでいないんだけど、最近、この2冊を購入した。

 

1冊目の本は、たまたま本屋で目について気になったからだけど、2冊目の本は、先日参加した「性の話」という助産師の先生の講演を聞いて、そろそろ、息子にも、恥ずかしがらないで、ちゃんと、性について話さないといけないなと思ったからだった。

 

子どもの「10歳の壁」とは何か? 乗りこえるための発達心理学 (光文社新書)

子どもの「10歳の壁」とは何か? 乗りこえるための発達心理学 (光文社新書)

 

 

おちんちんの話

おちんちんの話

 

 

月齢の悩みから始まって、ひといちばい敏感であるという特性についての悩み、それを個性と捉え、息子と並んだり、向き合ったりしながら、お互い成長してきたつもりだ。

 

そして、やれやれ、と思った今、また新たなステージがやってきた。

 

また正解のない、わからないことを学びながら、一緒に成長することが必要とされている。

 

10年。

ひとつの節目として、また、これからも、子育てをしていきたい。

 

今朝、旦那と、息子の誕生日プレゼントの話をしていた時に、旦那に

「お母さんとして、10年お疲れさま! いつもありがとう!」

という言葉をもらった。

あまりにも思いがけず、最初、何を言われたのかわからなかったけれど、意味がわかっって、そうか、私、10年もお母さんやっているんだ! と思ったら、なんかジーンとした。

そして、そのあと、ハッとして

「お父さんとして、10年お疲れさま! こちらこそ、いつもありがとう!」

と伝えた。

 

息子が生まれる前に、結婚してから3年くらい二人暮らしの時間があって、そして、息子を授かった。

泣いたり笑ったり、いろいろあったけれど、どう考えても、この3人家族でよかったと思う。

 

これからもいろいろあるだろうが、これからも、対話をかわしながら、過ごしていきたい。

 

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