昨晩、母から電話があった。
父が入院し、寂しいと夕方言っていたから、それで電話をかけてきたのだと思ったら、もっと事務的なことだった。
「お父さんの入院の書類に、別世帯の連帯保証人が必要なの。明日会社に行く前に、駅まで行くから、書いてもらえる?」
早起きしないと難しいけれど、だからと言って、断る断る理由はなかった。
「わかった」
今朝、いつもより30分早く起きて、洗濯機を回した。
ママ友とのおしゃべりも事情を話して、早めに切り上げて、バス停に向かうと、ちょうどバスが行ってしまったところだった。
気持ちばかりが焦って、次のバスを15分も待つ気持ちになれなかった。
歩くか!
早足で歩けば、バスに乗って行くよりも駅に数分だけ早く計算だった。
とりあえず、母に電話すると、もう駅に着いていると言う。
さすがだ。
5分前、いや、10分前行動の鏡だ。
パートを始めてから、仕事中の移動で、歩くことには慣れているからか、そんなに疲れずに駅まで歩けた。
駅に着くと大きな荷物を手に下げた母が待っていた。
緑内障のせいで視野が狭くなっているからか、だいぶ近づいても、私に気づかなかった。
「おはよう」
そう言ったら、ようやく気づいてくれた。
「悪いね。大変だったでしょう」
そう言いながら、徐に、鞄から書類を出した。
「これなんだけど、お願いね」
何かボードでも持ってくればよかったが、クリアファイルだけだと、うまく書けそうになくて、壁を使って書類を書いて、印鑑を押した。
「確認なんだけど、これでいいんだよね?」
急に心細くなったのか、私に、色々聞いていた。
「うん。大丈夫だと思うよ」
「よかった。やっぱり娘が居てくれて本当に良かった」
大したことをやっていないのにそんな風に言われて、恐縮したけど、ちょっと嬉しかった。
母の持っていた大きな鞄は、父の着替えが入っているようだった。
昨日の話だと、もう少し遅い時間に病院に行くと言っていたようだけど
「家にいても仕方ないし、もう行っちゃおうかなと思って」
と言った。
「でも電車混んでるかな?」
「9時過ぎたら、そんなに混んでないよ。途中まで一緒に行こうか?」
「そう? じゃあ、そうさせてもらおうかな?」
一人で大丈夫だと言っていたはずだけど、やはり、私が一緒にいた方が多少は心強そうだった。
荷物を持とうとして、断られ、でも、途中まで持つよと強引に持った。
電車に乗ると、さほどこんでなくてホッとした。
母と、息子のことや、父のことなどひとしきり話した。
そうして、電車が揺れたとき、母が私の手をギュッと握った。
あ。
久しぶりだった。
母と手を繋ぐのは。
今は、息子に手を繋がれることが多いから、なんか感触が新鮮だった。
そうか。
今って、私は40代だから、20代の子たちと比べて、なんだか年寄りぶってみてるけど、本当の高齢者からしてみるとめちゃめちゃ現役なんだなぁ。
子どもからしてみると、頼りたい大人なんだなぁ。
そんな風に思った。
誰かに必要とされたい!
誰かの力になりたい!
そう思える時期はいつまでなんだろう?
死ぬ直前までそう思えるだろうか?
年を取り誰かに頼りたくなって、助けてもらっても、それでも、なお、何かをやってる人でいられるだろうか?
手を繋ぐ。
手を繋がれる。
微妙な違いがある気もするが、繋がれているつもりが繋いでもらっているのかもしれないな。
途中の駅で、母が先に降りた。
手を振って別れた。
今も、私は母を頼っている。
私も、そんな風に頼られる高齢者になりたい。