「学校へ行きたくない」
今朝息子にそう言われて驚いた。
「え?」
だって、昨日体調を崩して学校を休んで
「本当は学校へ行きたかったんだよ。みんなに会いたかったんだよ」
そう言っていたじゃないか!
不機嫌な息子の肩を掴んで揺さぶって問い詰めたい気持ちになった。
だけど、私は知っている! というか、だんだんわかってきた。
子どもというのは、その瞬間瞬間に生きているから、さっき言った言葉と、今言っている言葉が全然違うということを!
究極の「朝令暮改」!
いや! 子どもに限らず、人というのは、本来そういうものなのかもしれない。
ただ、大人になると、一貫性とかを大事にして、変えること、あるいは、変わったことを認めることによって混乱を招き、人に迷惑をかけたり、恥をかいたりするから、さも、ずっと気持ちが変わらないんだというような顔で過ごしているのかもしれない。
まあ、いずれにしろ、目の前の我が子は、昨日の我が子とは違うようだから、まずはそれを受け入れるしかない。
そうしないと、前へ進まない。
前へ進まないどころか、昨日に引き続き、今日も、会社へ行けなくなるかもしれない!
それはまずい! それは避けたい!
だから、丁重にこの案件に取り組まなければならないと、私のセンサーが働いた。
まず、息子の、学校へ行きたくない理由を聞いたら「習字」があるからだという。
「面倒臭い」と言うものだから、「ああ、確かに、準備が面倒臭いよね!」と言ったら、「準備は面倒臭くない」と言う。
はて。
少し話を変えて、「お母さんも、小学校の時、あまり好きじゃない教科があったよ」と「体育」のことを言ってみた。
「ふーん」というような軽い反応だったけれど、少しは、気持ちに寄り添えた気もする。
この後「もし、どうしても嫌だったら、先生にちゃんと嫌な理由を言って説明すれば、やらなくてもいいよ」と思い切って言ってみた。
すると「そういうわけにはいかないよ」と息子は言った。
まあ、基本的には真面目だから、そういうよねと思った私は、ちょっとずるかったかもしれない。
そんなこんなで、なぜか「今度、108画の漢字をいっしょに書こう」という、え? それは面倒臭くないの? という不思議なミッションの約束をして、息子は機嫌を直し、学校の支度を始めてくれた。
なんだか、こうして、文にしてみると、くだらないことのようにも思えるけれど、「急がば回れ」という気持ちで、子どもの気持ちに寄り添ってみたり、ちょっと過激な提案をしてみたりすると、解決するのかもしれないと思った。
明日は、多分、習い事のスイミングがどうとか言って朝機嫌が悪いと思うけれど、また、のらりくらりと、少しだけ、気持ちを寄せて、忙しい朝を乗り切ろうと思う!