今日は、息子の小学校に転入生のPTA会費の受け取りに行った。
息子のクラスではないけれど、同じく3年生の別のクラスの担任の先生のところへ。
授業中は、先生と話せないだろうからと、休み時間を狙って教室へ行った。
しかし、教室を覗くと、先生は見当たらなかった。
発達が少しゆっくりめのお子さんについた補助の先生はいらっしゃった。
けれど、一応、職員室を見てから、聞こうと思い、職員室に向かった。
でも、いらっしゃらなかった。
申し訳ないけれど、あの先生に聞こう!
「あの、すみません。〇〇先生はどちらにいらっしゃるかお分かりでしょうか?」
「あ、この中にいらっしゃいますよ!」
「え?」
どう見ても、カルタをやっている子どもたちの集団と、数人ずつなにやら話をしている子どもたちの姿しか、見当たらなかった。
あ!
よく見ると、カルタをやっている子どもたちの中心でカルタを読んでいたのは、先生だった!
「あ、いらっしゃいますね!」
PTA会費の件で用事があるのですと言って呼んでもらい、無事受け取ることができた。
すごいな!!!
息子が小学校へ入学して、小学校の先生に「保護者」として接するようになって、自分が子どもの時に感じていた、先生へのイメージと少し違う気がした。
「正しいことをする大人」だと、子どもの頃は思っていたけれど、保護者として接すると、いろいろな考えの先生がいらっしゃると感じたのだ。
それは、マイナスという意味ではなく、「先生も人間だ」といった大人同士の理解という意味だけれど。
そして、同じ「保護者」の中でも、PTAの委員や役員、そして、卓球部員として、先生と接すると、より距離が近く感じ、人間らしい部分も見ることができた。
そして「先生、頑張っていらっしゃるな」といった、より親しみとか、感謝の気持ち、応援したい気持ちも生まれてきている。
いろいろな考えの先生がいらっしゃるといったけれど、休み時間の過ごし方もそれぞれだなと感じる。
今日、伺った先生のように、子どもたちの中に入って、一緒に遊ぶタイプの方もいらっしゃれば、次の授業の準備など、仕事をする先生もいらっしゃるみたいだ。
どっちがよくて、どっちがそうでないということではないけれど、やはり、子どもとの相性ってあるんだろうなって思う。
私が子どもの時の先生はどうだったかな?
比較的、年配の厳しめの担任の先生が多かったから、休み時間に一緒に遊んでもらった記憶はあまりない。
特に、私には不満はなかったけれど、つまらなかった子もいたのかもしれない。
もしも、私が学校の先生になったらどうかな?
多分……一緒には遊ばない気がする。
息子とだけだって、うまく遊べないのだ。
息子と同じ目線で遊ぶ私の母のことを本当にすごいなって思っていた。
これからも息子との付き合いは長いから、苦手なことを無理しすぎるのは、厳しいけれど、それでも、時々は、一緒になって遊ぶことも大切なんじゃないかなって思った。
せめて、一緒に遊ぼうって誘われたら、半分くらいは、付き合おうかな。
「お母さんは、あまり一緒に遊んでくれない人だ」って息子の中にインプットされて、実際は、あまり誘ってこないけれど、だからこそ、今度誘われたら、よほどのことがない限り、一緒に遊ぼうかなって思った。
できるだけ、私の得意な遊びに誘導しちゃうかもしれないけれど……。