例えば、物語を書こうという時、気持ちは感情的だろうか?
感情的な自分がいないと書けない一方で、本当に、実生活のイライラの気持ちが充満しているときは、多分、書けない。
冷静に、構成を練ったりもしないといけないし……。
また、例えば、数字を扱う仕事とか作業をしている時、人にお願い事をして、助けてもらう時、こんな時も、イライラしていると、うまく事が運ばない。
途方にくれたとしても、どうやったら、いいのだろうと先を考えたりして、踏ん張っている時も多い。
こうやって考えてみると、湧いてきた感情を、認めてあげる時間があるようでいつもあるとは限らない。
「そうか、イライラするよね」
「怒りたくなるよね」
自分の中の感情をなだめてあげることすら、急いでいるとできず、ぐーっと押し込めてしまう。
だからだ。
だから、さっき、息子が本気で泣いた時、猛烈に腹が立ったんだ。
だけど、その猛烈に腹が立ったこと自体、いけないことのような気がして、またぐーっと押し込めた。
で、ずっと黙って聞いていたけれど、苦しくなって
「そんなに訴えるように泣かれるとこっちだって苦しくなるんだよ!」
って、風邪でガラガラした低い声で言ったら、今度は、息子が、涙を押し殺し始めた……。
息子が泣いた理由は些細なことだ。
いや、些細だと思っているのは、私で、息子にとっては些細なことではないのかもしれない。
いつもの卓球に、私が風邪を引いて咳がひどいため、欠席すると知った時、息子は大声で泣いた。
え? 先週は、いやだって言ってたじゃん。
行くなら、勉強を先にやらなきゃいけないのに、やろうとしなかったじゃん。
私は、そんな風に、息子に対して、不満もあって、どうしてそんなに泣くのか意味がわからなかった。
「なんでそんなに行きたいの?」
つい、聞いてしまったら、もっと泣いた。
いつも行ってるから!
いつも行ってるところに行かないのは、寂しい気持ちがするから!
息子なりに理屈があるらしい。
そうか。
ごめん。
そう言ったら、ワントーン上げてまた泣いた。泣き続けた。
もう、自分では、コントロールできないようだった。
元はと言えば、私が体調を崩したことがいけないのだけれど、私としても、あんまり謝りたくなかった。
それが納得いかないのか、しばらくずっと泣いていた。
正直、泣き声を聞いているのが辛かった。
咳もひどくなり、頭も痛くなり、お腹も痛くなった。
本当は、
「うるさい!」
そう言って遮ってやりたかった。
だけど、それは、できなかった。
だけど、やっぱり、遮らなくてよかったと思う。
わかっているんだ。
事情はわかっているんだ。
だけど悲しいんだ。
そう言うようになって、だんだんと冷静になってきて、不機嫌ながらも、気持ちを切り替えて
「わかったよ。勉強するよ!」
そう言って、机に向かった。
しばらくすると
「これってなんて読むの?」
そう普通に話しかけてきた息子。
時々、ハグをしにきた息子。
彼なりに、自分で、どうにかコントロールしようとしているんだ。
私だって、泣き喚きたいよ!
本当は、そう思っていたのかな? 私。
試合前だというのに、体調を崩して、練習を休んでしまったことに後ろめたさがあって、それを息子に責められていた気がしたんだよね。
私の中の小さな女の子が頷いた気がした。
ああ、元気って当たり前じゃないんだよな。
早く、元気になりたい。