仕事が休みだからといって、ゆっくりできたのは、朝だけだった。
いつもは、6:10には起きて、洗濯機を回し、朝食を作ったり、身支度をしたり、息子を起こしたりと忙しいけれど、今日は、6:50まで寝た。
息子を送り出す時に、まだ、洗濯物を干してなかったけど、ママ友とおしゃべりをした。
「ああ、ゆっくりできるって幸せだな」
社会との接点を感じられず、やるべきことを、長い時間に引き延ばすように、ゆっくりとこなしながら、くすぶる気持ちを抱えていた期間が長かった。
しかし、働き出して、ひとつひとつのことにかけられる時間に限りがある日が始まってみると、時間をかけられることが贅沢に感じる。
うんざりしていた時間が輝いて見える。
けれども、ひとたび、1日が始まると、そうだ! あれもやらなきゃ、これもやっておかねば! というものを思い出したり、新たに思い浮かべたりして、途端に忙しくなった。
せっかくの休みに、のんびりしていない自分を、少しもったいなく感じながらも、そうかと言って、今日中にやっておきたいことをなかったことにすることも本意ではなく、結局忙しなく、布団を干したり、掃除機をかけたり、買い物に出かけたり、実家に電話したりした。
のんびりすること。
1日を効率的に使い、有意義にすること。
多分、どっちも、素敵なことなんだと思う。
人によって、そして、その時々で、時間の使い方は変わるんだろう。
休みなのに、何もしないでぼーっとしちゃった。
休みだから、ゆっくりできた。
休みなのに、動きすぎて、休まなかった!
休みだから、たまっていた、やるべきことが片付いたし、やりたいこともできた!
結果的に、同じ使い方をしても、後の意味づけで大分気持ちが違うなと感じた。
今日は、実は、午後の予定が、息子の友達が急遽遊びに来たことにより、大分変わってしまった。
でも、なぜか、清々しい。
息子の笑顔が見れたからかな?
まだ、今日中にやりたいことがたくさんあるけど、やれるだけやれば、まあ、いいかな? そう思えた。