私は、今、3人家族です。
夫と息子と私で住んでいます。
結構、仲良く過ごしていると思いますが、それでも、細かい部分で、温度差があるなと思います。
息子が、私に話を聞いてほしいと思っている時、私は、夫に話を聞いてほしいと思っているとか、あるいは、夫が私に話をしている時、私は、上の空だったりもします。
こうして書いてみると、私だけが、わがままのようですね。
でも、3人の立場は、時と場合によって入れ替わるので、お互いさまとも思っているのですが……。
多分、このようなことは、ずっと前からあったと思うのですが、最近、自分の振る舞いを振り返って、今のは悪かったな……と反省することが増えたのです。
私が、家族以外に、気持ちが持って行かれることができて、うっかりすると、そのことばかり考えている時があることが、その理由の一つにあげられると思います。
その夢中になることというのは、「文章を書くこと」だったり、「PTAの仕事」だったり、「自分のこの先の道筋」だったり、いろいろです。
また、夫が、「自分は、ここまでは、合わせられるけれど、これはできない」とか「これをする時間がほしいから、ここは子どもの面倒をみて」などと、具体的に、私に言うようになったことも、私が自分のわがままを反省する、もう一つの理由です。
私の夫は、相手に合わせられる人です。
人が、どんなことを望んでいるのかがわかるので、先回りして痒いところをかいてくれるような感じの人なのです。
ですから、私も、だいぶ甘えていました。
私自身も、長い間、家族の時間を大事にしてきたのですが、ここ数年、自分の気持ちに素直になり、自分のための時間をもらうように主張し始めました。
そして、今、好きなことができています。
それができているのは、夫のおかげだと思っています。
決して、夫に、私が自分の好きなことをすることを反対されているわけではないのですが、やはり、我慢して合わせてくれていた部分が相当あるんだと思います。
何事もなく、うまくいっていたと思っていたのは、夫の我慢の上で成り立っていたのかもしれないと思った時、申し訳なさと不安な気持ちも生まれました。
一方で、私が自分が好きなことをする時間をもらうように行動したことによって、夫自身も、自分の気持ちを伝えてくれ始めたのだとしたら、もしかしたら、悪いことばかりではない気もします。
ともかく、反省すべきは、息子のこと、そして、自分のことを優先して、夫のことは、悪く言えば、放っておいた、柔らかく言えば、お任せしていたところがある点です。
先日、行った、さだまさしさんのチャリティコンサートで、さださんが歌ってくださった曲の中に、1979年のヒット曲の『関白宣言』のアンサーソングで、1994年に出された『関白失脚』がありました。
歌詞をここで書けないので、まだご存知でない方には聞いていただきたのですが、関白宣言をした旦那さんが、結婚後に妻の尻にしかれるさみしい心情をコミカルに歌われながら、最後はエールをおくり、ほろりとさせられる内容なのです。
歌を聞いていたら、全部ではありませんが、思い当たることもあり反省の気持ちと感謝の気持ちが生まれ、涙が流れました。
私自身、夫を尻に引いているつもりはないのですが、甘えすぎの結果、多分、随分、家族のために我慢しているんだろうなと思っています。
だから、この前
「いつも家族のためにありがとう」
と、改めて言いました。
大切に思いつつも、大切にし切れてなかったと反省の思いを伝えました。
すると
「俺は、家族を守ると覚悟を決めているから、できるだけのことはしたいと思っている。だから、俺が『行ってきていいよ』と言った時間に関しては、罪悪感を持たずに行ってほしいと思ってる。無理な時は無理って言うから、大丈夫。思う存分、好きなことをやりな」
と言ってくれました。
私は、本当に恵まれているなと思います!
ありがたいです!