天狼院書店のライティング・ゼミ、そして、ライティング・ゼミ・プロフェッショナルコースで学び始めて、約1年。
身の回りのことを題材に、文章を書き始めて、だんだんとネタが切れてきた。
すっかり枯渇したとは言いたくないけれど、なかなか、実際にあったことをコンテンツにするには難しくなってきた。
そうかといって、フィクションとか小説といったものに挑戦してみても、なかなか、面白いものが書けずにいた。
私の弱点は、「嘘がつきにくいこと」だ。
フィクションの中でさえ、嘘をつくことが心苦しかったりする。
それって、小説を書く人間としては、致命的だ。
そんな私に天狼院書店の店主であり講師の三浦さんが
「一度、小説の中で人を殺してみたら?」
と言った。
「え? 殺しですか!?」
私は戸惑った。
小説の中でも、モラルを破ることは怖かった。
だけど、さんざん悩んで、前回、一度、小説の中でひとり殺してみた。
いや、正確には、積極的には殺せなかった。
だけど、「殺したいと思うほど憎い気持ち」「殺したいという意思はないが、結果的に死んでもいいと思う気持ち」「殺すつもりはなかったけれど、その念には、殺傷力があったという事実」など、「殺し」を巡る様々な感情が見えてきた。
今、直接、自分が思っていることを書くことと同じくらい、いや、もしかすると、それ以上に、フィクションという「嘘」を借りて、事実よりも恐ろしい人間の感情を表すことは、実は、怖かったりする。
「そんなこと考えていたんだ……」
そんな風に、私の人間性を疑われることがおそらく怖いんだと思う。
言い訳のようだけど、普段から「殺し」とかを考えるわけではない。
だけど、追い詰められたとき、もしかすると、そう思うのではないか? という想像はある。
そうか! それを表現するのがフィクション、小説なのかもしれない。
今まで書いてみた、フィクションは、実際にあったことの組み換えだったり、事実の延長線上のことを書くことが多かった。
今回は、人の人生相談をヒントに、私とは全く関係のない人をモデルに書いてみた。
三浦さんに、よかったよ! と言ってもらえた。
嬉しかった!
もしよかったら、みなさんにも読んでいただきたい!
どうぞよろしくお願いします!
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知られたくなかった、あなたと出逢うまでの因果《プロフェッショナル・ゼミ》