「今日は、歯医者だから、4時までしか遊べないよ!」
午後3時過ぎに帰ってきた息子が、我が家で、お友だちと遊べないかと聞かれて、私はそう言った。
「わかった」
息子は、私にそう言って
「4時までなら遊べるって!」
玄関先で、私の判断を待っていたお友だち2人に伝えていた。
「ありがとうございます」
「お邪魔します」
一度家に帰って、再びお友だちが現れたのは、午後3時25分。
もう35分しか遊べないじゃん……。
焦る私に比べて、暢気な3人。
後、5分しかないというのに、新しい遊びを始めようとしたのは、さすがに
「もうそろそろ片付けの時間だからさ、それは、また今度にしよう」
と口を挟んだ。
4時ピッタリというわけにはいかなかったけれど、それなりに満足して、お友だちは帰り、私と息子は歯医者に行った。
つい、最近の出来事である。
このことや、小学校の休み時間で5分あれば、ひと遊びする子どもたちには本当にびっくりする。
すきま時間を有効に使いたいと思いながら、時計を見て、10分を切っていると、もう
「時間がない」
と思ってしまう。
個人差はあるだろうけれど、私は15分ないと、すきま時間とさえ認定しづらい。
だけど、もしも、目の前の5分を、すきま時間と認定出来たら、それが12個集まれば、立派な1時間だ。
いや、こうやって、集めてみないと価値を感じないという感覚がすでに危険なのかもしれない。
目の前の5分、そのものを
「時間がある」
と思える感覚を、子どもに学んで、有意義に使えたらいいなと、空を眺めてみる……。