「何年ぶりだろうね?」
ふたりで、一生懸命思い出してみても、正確にはわからなかったけれど、少なくとも、15年以上は会っていなかった昔の会社の後輩と会うことができた。
「会いたいって言ってくれて本当に嬉しかったよ」
と言う私に
「会いたいって言って、快く会ってくれて嬉しかった!」
と後輩が言ってくれて、ふたりで笑っていたら、会わなかった時間がぐっと縮まったような気がした。
私と彼女が一緒に働いていた期間は、おそらく2年間くらいだ。
その間に、彼女が長期入院を必要とする病気になってしまい、毎日のように、実家に手紙を出したり、面会できる時は、何度か病院にお見舞いにも行くような仲だったけれど、彼女が元気になったこと、私が他の支店に転勤になったこと、そして、彼女が会社を辞めたこともあって、疎遠になっていた。
彼女が大阪に引っ越した時に、葉書をもらったことから、年賀状のやりとりが始まったけれど、体調はどうかと気にしながらも、詳しく聞くのも憚られ、年賀状が来ることで、元気なんだと認識していた。
2年前に、一度、会えそうになったけれど、都合がつかず会えなかったことがあった。
「またの機会に会いたいね」
と言いながら、月日が経っていた。
「もし、都合がよかったら平日の昼間会いませんか?」
というLINEがきたのは、今から10日くらい前のことだった。
驚きながらも、私も会いたいと自然に思い、今日の再会が叶ったのだ。
待ち合わせ場所で会った彼女は、過ぎた分、年を重ねてはいたけれど、その重ね方はとても美しかった。
かわいかった女の子は、綺麗な大人の女性になっていた。
長い間会っていなかったとは思えないくらい、話が弾んで、とまらなかった。
10時に会って、私の都合で13時に別れるまでの、3時間、話し続けた。
それでも、会えなかった分の出来事を語りつくすには時間が足りなかった。
彼女は、病気を克服し、いろいろ苦労もしたようだったけれど、今は、会社の重要な役割を引き受け頑張っているようだった。
独身の彼女は、恋もしていた。
その恋の相談を受けているうちに、私も少し気持ちが若返った。
私なりに、思っていることを言った。
人の恋の相談を受けるなんて、いつぶりだろう?
不思議なことに、その話を聞き始めた時と、聞き終わった時に、私自身の考え方に変化があった。
聞き始めた時は、あくまでも第三者目線で、ハッピーエンドになるにはどうすればいいのか? というスタンスだったけれど、聞き終えるころには、彼女に同化していた。
客観的なハッピーエンドが、彼女にとってのハッピーなのかどうかわからなくなった。
もしつらくても、今の感情をしっかりと味わうことが、楽になるよりも幸せなのかもしれないと感じた。
「あなたがどうしたいのかが大事だと思うよ」
「相手の感情も、あなたの感情も、少し待つことで、変化があるかもしれないよ」
若い頃の自分だったら、きっと、そんなこと言わないなという言葉が出てきて、自分自身驚いた。
「今日、会って話をきいてもらってよかった。気持ちが楽になったよ」
そう言ってくれた彼女に、心の中で、こちらこそと思った。
人生で、出会う人って、結果的に、限られているし、深く語り合える人もそうそういない。
今日、彼女と再会できたことに感謝した。