涙と笑顔のあいだ

HSC(ひといちばい敏感な子)中1ひとりっ子男子の子育てを通し成長させてもらいながら、日常のモヤモヤの純度を上げるべく綴る40代主婦のブログ

今日は、ちょっと弱音を吐かせてもらいました

私の息子に対する期待とか理想が

やっぱり高いんだろうなって

改めて感じている

 

ありのままを愛するってことを

実はできていないのかもしれないと

絶望する

 

息子が最近

「死にたい」

とか

「生きづらい」

とかポロリと言って

私は動揺する

 

そして

「死」を口にしてほしくない

と伝える

 

こんなに一生懸命向き合って

育てているつもりなのに

どうしてそんな風に言うの?

そんなこ言って欲しくない!

というのが本音

 

だけど本当は

どうしてそう言ったのか?

と、私が考えることや

そういう気持ちなんだな!

って理解することの方が

本当は大事なんだとは

わかっている

 

確かに

口にはしなくても

どうしてもどうしても

周りの子たちと比べて

もっとこうだったらいいな~

と心では思ってしまっている

 

その度に

息子の過去と現在を比べ直し

「成長したよな」

と思い直している

 

しかし

そのタイムラグの私の不機嫌な表情を見て

息子はきっと傷ついているんだろう

 

「親子だったらもっとざっくばらんにすればいいのに」

そう言われたことがある

 

確かに

お互いがお互いに気を使って過ごしているとは思う

 

ところが

息子が繊細であること

言葉のひとつひとつを気にすることを

知っているから

どうして気を使ってしまうのだ

 

最近は

過保護から脱皮したくて

息子の気持ちの立ち直りを

少し距離を置いて見守ることにしている

 

その見守る姿が

「温かく」というよりは

もしかすると

「勝手にやってくれ」という風に

息子には感じて

苦しいのかもしれない

 

この前は

「お母さんは泣いたらすっきりするっていってたけれど

全然すっきりしない!」

と怒っていた

 

成長の過渡期なのか?

それともSOSなのか?

 

正直戸惑っている

 

息子に泣かれると

なぜか自分が責められているような気持ちになり苦しくなる

そして

私の表情が険しくなり

それを見て息子が

「泣いてごめんね」

と謝る

 

その時私は

「大丈夫だよ。悲しいんだから仕方がないよ」

と不機嫌そうに言うしかことできない

 

どうにかこの状況をうまく打破したいと思っている私がいる

 

しかし

本当はそうではないのではないか?

 

不完全である自分を認めることが大事なのではないか?

 

今、私はとても悲しい

息子に「死にたい」と言われてとても悲しい

どうしていいか、正直わからないのだ

 

ただ

息子も息子で

どうしていいかわからない気持ちを

「死にたい」と表現したのかもしれない

 

近々時間をとって

しっかり話し合ってみようか?

 

たっぷりと愛情を注いでいるつもりだが

もしそれが伝わっていないのだとしたら

わかるように表現しなければいけないのかもしれない

 

「~すべき」と「~したい」を行ったり来たり……

 

今日は午後に保護者会がある

必然的に他の子と比べる時間が増える

 

ちょっときついなぁ……

たぶん

ちょっと私も疲れているんだなぁ……

 

だけどきっと大丈夫!

 

そう信じて過ごしてみようアップ