涙と笑顔のあいだ

HSC(ひといちばい敏感な子)中1ひとりっ子男子の子育てを通し成長させてもらいながら、日常のモヤモヤの純度を上げるべく綴る40代主婦のブログ

誘いに乗ることで、波に乗ってみることも良かったりする

今日もPTAの卓球に行ってきた。

今日も卓球の練習日だということはわかっていたけれど、行こうかどうかは、朝のうちには決めていなかった。

行けたら行こう……。

そうだなぁ、50%50%だったかなぁ。

もしかすると、行かない方が若干高かったかもしれない。

昼になっても、そんな感じで、夕方の17時過ぎまで、迷っていた。

行かない方が朝や昼よりも高くなって80%くらいの割合で行かないって思っていたのに、とりあえず仲のいいママ友に、「卓球行く?」って聞いたら「迷ってる」と言われて、「私も」と答えた後、「やっぱり行こうと思うんだ。一緒に行かない?」って言われて、重い腰が上がったというわけだった。

半ば行きたくない気持ちもあったわけだけど、行ってみたら、楽しくて、もっと上手くなりたくて、いい汗を流すことができたのだ。

 

今の状況を、見回してみて、誘ってもらって、その誘いに乗ったことから始まったことがたくさんある。

 

今の仕事だってそうだ。

「手伝ってくれない?」

って言ってもらって、まだ子どもが小さいから、長い時間働けないし、突然休ませてもらうこともあるかもしれないって言っても、それでもいいよと言ってもらったんだ。

本当にありがたいご縁で、こうして働けている。

 

卓球部だって、PTAの役員の仕事だって、「どう? 一緒にやらない?」って声をかけてもらったことから始まった。

 

もちろん、気が乗らないことや、どうしてもやりたくないことは、断っていいと思うし、断るべきだと思う。

 

でも、ちょっと気になっていることを、誘ってもらった時、心が動いたら、その波に乗ってみるといいことがある気がする。

 

誘ってもらうことって嬉しい。

誘ってもらって、様々な理由で、断ることはつらいけれど、それでも声をかけてもらうことってありがたい。

 

そう考えてみると、私って、人を誘うことって、少ないような気がする。

どこかに行きたいなと思っても、だいたい一人で行く。

もちろん、たまたま、興味が合致するときは、人と一緒に行くけれど、わざわざ誘うことは少ないなぁ。

 

断られることが、なんとなく、つらいし、「断らせてしまったこと」に対して申し訳なさも感じるんだな……。

 

なんだか矛盾している気もするな……。

 

「この人、これに興味がありそうだな!」

「これは、この人に勧めたい!」

 

そんな風にもしも情熱が湧いたら、今度、人を誘ってみようかな。

だって、その人が、私みたいに、その波に乗って、新しい何かと出会えるかもしれないから。

 

だけど、ちょっと怖いな。

だから、誘ってくれるって本当にありがたいことなんだな!

「嫌い」と言っていたのに、そうでなくなった理由

昨日、ちょっとびっくりしたことがあった。

 

まあ、息子の話を聞くと、考え方が、小学4年生当時の私と違う気がして、毎回ちょっとびっくりはするんだけれど……。

 

昨日びっくりしたのは、好きになれなかった担任の先生が、まあ、好きにまではなっていないにしても、嫌ではなくなったということがわかったからだ。

 

先生が嫌で学校に行きたくないと言っていた日々もあった。

ほんのひと月半くらい前のことだ。

昨年お世話になった先生が好きすぎて、どうしても比べてしまうようだった。

今の担任の先生があまり好きではないという子は、息子以外にも結構いるように思っていたし、親として、どうしたものかと思っていたのだけれど……。

 

実は、先生のことが云々の前に、息子が、今、同じ班のある女の子のことを苦手に思っているということが、息子の話からわかった。

 

話を聞いていると、息子の怒っている気持ちがわからなくもないけれど、同じ年のクラスメイトに対して求めすぎというか、まあ、そういったこともあるよという感覚だった。

しかし、その話の中で、気になることがあった。

 

理科の実験の時に、その女の子が電池の一部がめくれているのが気になって、先生にそれを伝えに行ったらしかったのだ。

だけど、先生は、忙しいのか、気がつかなかったのか、対応をしてくれなかったそうで、

「先生に無視された」

と怒りながら席に帰ってきたようだったのだ。

その時、息子が

「先生はいい人だから、もう一回行ったら、きっと聞いてくれるよ」

と言ったそうなのだ。

しかし、その女の子は

「いや、絶対に聞いてくれない!」

と言い張ったことが、息子は気に入らなかったようだったのだ。

「決めつけるんだよ」

と言いながら、家で号泣していた。

まあ、号泣するには、他に伏線があったので、このことだけで号泣したわけではないのだけれど。

 

で、私が、驚いたのは、息子が、先生のことを「いい人だ」と言ったことだった。

ほんのひと月半前は、嫌いだと言っていたのにだ。

 

確かに、息子が、先生に何かを言いに行った時に、この女の子に対するように、先生が対応してくれなかったり、息子の言いたかったことを正確に理解してくれなくて、チグハグな対応をされたと行って、怒って帰ってきた時もあった。

だけど、その時、私は、息子の不満に思う気持ちを受け止めたあと

「もしかしたら、忙しかったのかもしれないよ。それに、言葉ではっきり伝えないと伝わらないこともあるし、伝えたところで、正確に伝わらないことも、大人になってもあるものだよ。いろんな人がいるから、前の先生と対応が違うかもしれないけれど、きっと今の先生にもいいところがあるはずだよ」

って苦し紛れに言ったことはあった。

 

まあ、時間が経って「慣れてきた」というだけのことかもしれないし、息子自身の成長なのかもしれない。

それか、私が言った言葉の何かが、息子の心の整理の何らかの役になっていたのかもしれない。

 

全員のことを好きになることは無理かもしれないけれど、それでも、担任の先生のことが、嫌いでない方が何かといいなと思うので、とりあえずは、よかったということにしよう。

 

しかし、子どもの「好き」「嫌い」はコロコロ変わるものだ。

だからと言って、それらの気持ちはないがしろにはしたくない。

だって、一瞬一瞬の気持ちは、本物だと思うから。

けれども、一度「嫌い」と言ったからと言って、「嫌い」「苦手」と決めつけて、それらを遠ざけてしまうことも危険だなって思った。

「好き」もまた然り。

 

子どもの言動に振り回されながらも、勉強させてもらっているなとありがたく思う。

家族はチームなのかもしれない!

一昨日、私は、“体調が悪く学校を休んだ息子”を、“息子の看病のため会社を休んでくれた旦那”に頼んで、出勤した。

 

その時の話は、こちらを読んでほしい。

 

tearsmile24.hatenablog.com

 

 

で、ここからは、その後の話。

 

私が、会社に着いて、銀行を回ってる時、スマホにメッセージが来た。

旦那からだった。

 

「診察終了したよ。
前回の段階でかなりよくなってたけど、再発したみたいと言ってたよ。治るまで通ってくださいと言われたよ(^^;

プールは本人元気なら、入っていいって^_^」

 

「プール入った後は、鼻、かむようにって(^^;」

 

「スコープで鼻の中見て、鼻水吸って、鼻になんかスチームみたいにのあてて、あっけなく終わったよ(^^;」

 

「今、薬局で薬待ち💊」

 

旦那が送ってくれた詳しい説明を読んで、ホッとすると同時に、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 

実は、3週間くらい前に、風邪をひいた息子の鼻水が良くならず心配になって耳鼻科を受診すると、「副鼻腔炎」と診断された。

副鼻腔炎」とは、いわゆる蓄のう症で、簡単にいうと、副鼻腔が炎症を起こし、膿が溜まってしまうものらしい。

 

4日分ずつ薬をもらい、3回通った。

毎回、抗生剤が出ていて、3回目に、少しだけ、抗生剤が弱くなったのだった。

でも、抗生剤の処方は、まだ続いていた。

 

「何か不安なことや聞きたいことはありますか?」

薬剤師さんにそう聞かれて、こう聞いた。

「抗生剤の処方が長く続いているので、ずっと飲んでいていいのか? って、ちょっと気になります」

「ああ、なるほど。心配はわかりますが、薬も効いて、徐々に良くなっているようなので、大丈夫ですよ」

「そうですか。わかりました」

 

薬が効いて、よくなってきても、全然良くならなくても、なんだか、ずっと薬を飲んでいていいのかな? って、気になってしまうものだ。

 

うっすらと、もう薬をやめたい、飲ませたくないって思っていた時、ちょうど息子の薬がなくなった。

 

また耳鼻科に通って、鼻水を吸ったり、ネブライザーの処置をして欲しい気持ちが、行ったら薬漬けにされちゃうかもしれないって気持ちに負けてしまい、様子見を選択してしまった。

 

完全に鼻水がなくならなくても、自然に良くなるって思ったんだ、根拠はなかったんだけど……。

 

で、その結果、悪化……。

 

だから、ああ、私の判断ミス。

私の責任だと感じた。

 

前日、息子は何度も吐いた。

お腹の風邪にしては、ちょっとリズムが違う。

 

検討した結果、おそらく、溜まった膿の匂いに本人が耐えられず気持ち悪くなり吐いたのだと思っている。

 

あー、ごめんよ。

申し訳なかったよ……。

 

薄々わかってたけど、やはり、悪化していたと知り、胸が苦しくなった。

 

「溜まっていた鼻水吸ってもらって楽になったみたい。お昼ご飯も食べて、薬飲んだから大丈夫だよ。疲れたのか、昼寝してるけど^^;」

 

病院の付き添いが初めてなんて嘘のように、安心感のある旦那からの報告だった。

 

旦那に頼んでよかった!

息子も、私じゃなくても、具合が悪い時、旦那でも安心できるんだ、よかった!

 

母として……。

そんな風にいつの間にか背負いすぎた荷物が下ろせたようで、安堵感に包まれた。

 

と、同時に、保護者としての判断ミスは反省した。

 

とりあえず、ありがたいことに薬は効いて、嘘のように元気になった。

 

これからも、判断ミスしてしまうかもしれない。

だけど、その時の最善と思われることを選択して、家族で乗り越えていきたい。

 

息子には悪いけれど、今回の出来事で、家族がチームに感じ、ああ、私は一人で子育てしているわけじゃないんだと心強く思えた。

 

息子もいつまでも小さな庇護されるだけの存在でもない。

 

刻々と変化する私たちは、お互いに影響を与えながらも、成長し、助け合って、まさにチームのように進化していけたらいいなと思った。

 

 

 

 

 

「べき」と「たい」の迷い以前に、どっちの「べき」を選べばいいか、わからない問題

子どもを学校に行かせてもいいか?

休ませるべきか?

 

今、私が優先するべき役割は、母としてなのか?

社会人としてなのか?

 

子どもの具合が悪くなったとき、毎回、裁判にかけられたような気になる。

 

本当なら、目の前の、具合が悪くなった子の心身を一番に考えるべきが、気持ちがフワフワとあちらに行ったり、こちらに行ったり……。

 

昨日から、息子の調子が良くなかった。

それは、わかっていたけれど、これくらいなら、学校に行かせたあとに、病院へ行けば良いかな? って、思っていた。

 

だけど、旦那が

「学校に行かせちゃ、可愛そう」

と言った。

 

そうか!

ああ、そうかもしれないな……でも……。

 

「会社休めそう?」

「……」

 

即答できなかった。

会社の人たちは優しいから、きっと、お大事にって言ってくれる。

でも、多分、すごく困るんじゃないかな、特に、今日は。

 

「もし、無理なら、俺が休もうか?」

「え?」

 

本音を言えば、助かったし、嬉しかった。

でも、ココロがザワザワした。

甘えていいのか?

本当に?

 

母として、仕事を選んでいいだろうか。

でも

 

「お願いします」

 

苦しかったけど、そう言えて、楽になった。

そして、不思議なことに、息子の体調を気遣う余裕ができた。

 

もうすぐ、10歳になる息子だけど、そういえば、旦那と息子2人で病院へ行ったことはない。

 

いつも、私が関わっていた。

 

だから、きっと、旦那もドキドキのはずだ。

でも、引き受けてくれた。

ありがたい。

 

出来うる限りの引き継ぎをし、旦那に託した。

 

ありがたい気持ち。

申し訳ない気持ち。

心配な気持ち。

 

ココロには、たくさんの気持ちがあるけれど、ここは、すっかり、甘えて頼って、仕事を遂行させてもらおう。

 

母としてより、社会人としての役割を選んだ私……。

いや、選べたんだ。

 

そのことに感謝して、頑張ってこよう。

 

万が一の緊急事態に備えて、スマホは気にしながら……。

 

 

 

 

 

「気づき」は熱いうちに伝えよう!

最近、若者と知り合い、そして、あまり交流できないうちに、会えなくなってしまうことが、図らずも多い。

 

みな、キラキラした目をしていて、希望に満ちているのと同時に、しっかりと歩みながらも、これでいいのだろうか? と悩んでいるようにも見える。

 

彼女たちは、私がその年齢の時よりも、数段しっかりとして見える。

 

今の若者がみなそうなのか? はたまた、そういったしっかりとした若者とたまたま会う機会が多いのかは、わからないけれど、なんだかすごいなって思っている。

 

だけど、ちゃんと、具体的にほめることができる日とできない日があって、ちゃんと、すごいな! 素敵だな! って思っていることを伝えることができないまま、もう会うことがなくなってしまうことも、少なからずある。

 

「一期一会」とか「袖触れ合うも他生の縁」とかが、教科書に載っているだけじゃなくて、身の回りに本当にあるなって感じる。 

 

今度会った時に、褒めよう!

今度ゆっくり話す機会が会ったら、伝えよう!

 

そんなに悠長なことを言わずに、すぐに、伝えないとなって思う。

 

もちろん、ここでいう「ほめる」は「価値を発見して伝える」ことだから、「事実+ありがとう」も含めて、惜しみなく、ほめることにしよう。

 

せっかく、縁があって、同じ場所に集ったとしても、それぞれの思いや、目標、進む道、大切にするもの、それらに違いが生じて、別の道を歩むことは少なくない。

 

いろんな思いがあったとしても、最終的には、その人の新しい道を尊重し、応援できる人になれたらいいなと思う。

 

なんだか、そんなことを、ふと、思った。

支えてもらって、できてること

家族のバランスって、本当に大事だなって思う。

 

子育ては、旦那と2人でやってるとは思うものの、メインは、母親の私だって、内心思ってるところはある。

 

だけど、この前、ああ、旦那に支えられてこそ、繊細な息子の子育てができてるんだど、改めて感じたのだ。

 

普段は、息子の気持ちが揺れて、それに私が引っ張られて、今度が私がグラグラに揺れて、旦那に愚痴ると、冷静にアドバイスされ、持ち直す。そんなサイクルだ。

 

だけど、この前、旦那が、息子の気持ちに引っ張られてというか、状況に愕然として、無口になってしまった。

 

そうしたら……。

 

旦那にかける言葉が私の頭の中を探しても見つからず、状況を取り持つこともできず、我が家から音がなくなった。

 

苦しかった。

その空気感たら、なかった。

 

ああ、いつも、旦那に支えられてるな、と感じたというわけだ。

 

旦那は、自分で気を取り直し、一晩だったら回復してくれた。

助かった。

 

「いつも、ありがとう」

自然とその言葉が出て来た。

気づいたら、涙が流れてきた。

 

 

“HSCの子育てハッピーアドバイス”を読んで!

“親の育て方は、子どもの行動の「原因」ではなく、「結果」かもしれない”

“過保護だから、保育園になかなかなじめないのではなく、もともと敏感な特性があって、新しい環境になかなかなじめない、不安が強い、だから、親御さんがしばらく子どもの相手をせざるをえなくなる”

 

 

ああ。

そう言ってもらえると救われる。

ほっとする。

涙が出るほど嬉しい。

 

今まで、どれだけ、息子の気持ちに寄り添って尊重してきたか……

だけど、もしかしたら、それが間違いだったのかもしれないと、最近、特に、感じていた。

だけど、それが、間違いではなく、もう一つの大切なことが、弱かっただけだと、改めて気づけた。

 

“少し背中を押してみる”

 

“親から見て、これは絶対に大丈夫! と思ったときには、ちょっと背中を押してみる”

 

“「子どものペースを尊重する」ことと、「ちょっと背中を押す」ことは、矛盾するように思いますが、実は両方大切なこと”

 

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6/18発売の“HSCの子育てハッピーアドバイス”をamazonで予約していて、今日、届いた。

夢中で読んだ。

笑った。

泣いた。

頷いた。

グッときた。

 

必要な人に届きますように!

 

子育て中の人にも、そうでない人にも、たくさんの人に読んでいただて、知ってもらいたい。

 

ぴんときた方は、ぜひ! 

HSCの子育てハッピーアドバイス HSC=ひといちばい敏感な子

HSCの子育てハッピーアドバイス HSC=ひといちばい敏感な子