涙と笑顔のあいだ

HSC(ひといちばい敏感な子)中1ひとりっ子男子の子育てを通し成長させてもらいながら、日常のモヤモヤの純度を上げるべく綴る40代主婦のブログ

知らない人にも挨拶をする境界線って人それぞれ違うのかもしれない。

今、働いている書店が、最近、もう1店舗増えて、その店舗にも私は出入りしている。

 

そこのビルは管理がしっかりしていて、セキュリティーも厳しいけれど、その分、安心感がある。

 

そして、とても素敵だなと思うのは、みなさん、気持ちの良い挨拶をしてくださるということだ。

 

ビルの受付の人、駐車場の管理の人、警備員の方、清掃員の方、そして、そのビルの他のテナントの従業員の方、みなさん、とても気持ちの良い挨拶をしてくれる。

時には、会釈だけの人もいるけれど、それでも、気持ちよく1日のスタートが切れる。

 

雰囲気的に「挨拶して欲しくない……」というような感じの方が多いビルもあるから、余計そう感じるのかもしれない。

 

「挨拶して欲しくない」っていうところでも、なるべく、こちらからは挨拶するようにはしている。

無視されることもあるけれど、返答してくれる時もあるから、まあ、いい大人として、めげずに頑張っている。

 

幸い、同じ職場のスタッフの皆さんは、皆さん、しっかり挨拶をしてくれる方々なので、気持ちはいい。

 

問題は、違うお店の知らない人だ。

まあ、考えてみれば、一歩ビルを出て、外であった知らない人には、挨拶をしないのだから、同じビルで働いている人は、他人だろ? って言われたらそうなんだけど……。

 

私の感覚では、山登りで、挨拶するように、私は「同じビルで働く人」は「仲間」って思っているのかもしれない。

 

でもそれは、個人的な感覚だから、やはり、挨拶は無理強いしてはいけないし、そもそもできないし、期待するのも求めすぎなのだろう。

 

それでも、やはり、私は、気持ちの良い挨拶ができる人でいたいと思う。

 

 

 

デコルテにあるネックレスのようなアレについて

「首に年齢が出る」

そうとは聞いているし、まあ、それは仕方ないんだなって思っていたのですが、私は、首だけではなく、デコルテにもネックレスのようなシワができているのが、実は、気になっていたのです。

 

まあ、太っているからな……仕方ないかな?

 

そうも思ったのですが、太っているからと言って、全員ができていない気がしたのです。

 

はて? これは、加齢や肥満だけのせいではなさそうだな?

何だろう?

 

そう思って、「デコルテ ネックレスのようなシワ」で検索して見たら、ありました!

 

こちらの記事です!

 

antiaging6.blog.fc2.com

 

こちらの記事によると、ある癖が原因であるそうなのです。

そのある癖とは“肩をあげること”だそうです!

 

それを聞いて、ハッとしました。

 

まさに、肩をあげる癖、私にはあるのです。

重い荷物を肩から下げて、落ちないように肩をあげているし、自転車を漕いでいる時も、パソコンを叩いている時も、気がつくと、肩が上がっています。

 

ああ……。

 

全く、なくすことは難しいとは思いますが、気がついた時点で、気をつけることで、少しは改善するかもしれないので、できることからやってみます!

 

手始めに、片方の肩で荷物を持っていたので、仕事のカバンをリュックにしてみます。

 

あとは、努めて、肩を下ろすように気をつけてみるとか?

クリームを塗るとかでしょうか?

 

ズボラな私ですが、洗顔と保湿、そして、最低限の化粧はしているので、その時に今までよりも少しだけ気を使ってみようかな? って思います。

 

効果があればいいな……汗

つい夢中になってしまって、息子の〇〇を横取りしていた話

「あれ? なんか調べるんじゃなかったっけ?」

「え?」

「社会の宿題で、『消防の何か』を調べるって、ゴールデンウィークの宿題じゃなかったっけ?」

「あ、そうだった」

 

【地域の消防施設・設備を調べよう!】という宿題が出ているのを、一昨日くらいに連絡帳をチラっと見ていたので、私の方が覚えていた。

息子は、忘れていたらしい。

ゴソゴソとランドセルから課題プリントを出して私に差し出した。

 

「これは、この地域の全部の消防施設と設備を調べるのかい?」

「知らない」

「知らないって……じゃあどうするの?」

「わかんないよ」

 

半ば投げやりの息子。

でもこのまま放置して、明日の夜、相談されても困るな……。

 

「じゃあ、とりあえず、回れるだけ回ってみる?」

「うん。そうする」

正解はよくわからなかったけれど、いい運動にもなるので、家族3人で、散歩がてら、街の「消火栓」「防火水槽」「消化器」を探すことにした。

 

いったいどこにあるだろう?

 

本当はいけないかもしれないけれど、闇雲に歩くのも大変そうなので、何か手がかりとなりそうな情報をネットで調べられないかと検索してみた。

 

すると、「消火栓」「防火水槽」「消化器」のはっきりとした情報はわからなかったけれど、何らかの消防に関するものがありそうな場所に目印が書かれた地図は見つかった。

 

とりあえず、それを印刷して、ヒントとして持っていくことにした。

 

家を出ると、いきなり、玄関前に「消化器」を見つけた。

あ、そういえば、そうだよな。

 

毎日見ているのに、しっかり認識していないものだなと思った。

 

次は、近所の地区区民館に何かありそうだ。

そう思って近づくと「防火水槽」があった。

 

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「あったね。40m3だって」

早速、息子が地図に防火水槽を表す青い四角形を記入した。

 

「次は?」

さっきチラッとみたヒント用の地図によると、少し歩いた場所にある公園に何かあるようだったので、そっちの方向へ行ってみようと提案した。

 

すると、その途中の道端に、「消化器」の入った箱があった。

「あ、こんなところに消化器があるね」

思わぬところで、一つ収穫があった。

 

もうしばらく歩いて、公園に着くと、「消化器」と「震災対策用貯水槽 5m3」と書かれた看板があった。それに「防災資器材格納庫」というものがあった。

 

「これらは書くところないね。とりあえず、メモだけしておくか」

 

そんな風に探しているうちに、一番楽しんでいるのは、私だということに気がついた。

「なんかオリエンテーリングみたいで楽しいね」

そう言ってみたけれど、旦那と息子はそうでもなさそうだった。

 

とりあえず、ヒントを頼りに、道を進むと、いつも歩いている道のいたるところに知らない「消化器」がたくさんあった。

毎日のようにみているはずなのに、認識していないと、「ない」と同じなんだなって感じ、何だか騙されているような気がした。

 

「消化器」はたくさん見つけたし、「防火水槽」もふたつほど見つけた。

あとは、「消火栓」だ。

 

「ところで、消火栓ってどんな感じだっけ?」

どんな風に街に存在しているのか、イメージがいまいち湧かなかった。

「こんな感じじゃない?」

旦那がスマホで検索してくれて見せてくれた画像を見て、ハッとした。

「そうだね! こんな感じだったね! じゃあ、見上げないと探せないね」

 

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「赤いもの」、「箱のようなもの」を探していたけれど、「消火栓」は普通の標識よりも高い位置にある標識が目印だと、改めて知った。

 

少し高い位置に目をやってもなかなか見つからなかったけれど、何分か歩いていたら、「消火栓」と書かれた案内を見つけた。

「あった!」

 

そう言って3人で走り寄って、地図にメモった。

 

「図書館と買い物の帰りに、今度は、街の反対側も回ろう」

私がそういうと、息子はちょっと不機嫌そうだった。

 

何だよ! せっかく宿題に付き合っているのに!

 

私は、正直、ちょっとイラっとした。

 

だけど、そのあとに聞いた息子の言葉に、反省したのである。

 

それは、何かと言うと、

「俺の宿題なのに、お母さんの方が楽しんでしまっているから、悔しい」

という言葉だった。

それに、

「お母さんが、松岡修造みたいに熱くなりすぎて、そのテンションについていけない感じなんだよ」

とも言っていた。

なるほど! いい例えだな! だけど、そんなんだったら、確かにいやだったろうなと反省した、というわけだ。

 

「ごめんね。横取り学習しちゃって」

「いいけどさ」

 

小学4年生の勉強ともなると、特に、理科や社会は面白い。

私も当時学んだはずだけれど、覚えていないことが多く、初めて聞くことのように、好奇心でいっぱいになる。

 

だから、息子が解いている問題を横から見て

「へー! なるほどね!」

とか言ってしまうことも多い。

 

だけど、それは、あまり良くないのかもしれない。

確かに、自分が「へー!」って、単独で思いたいのに、隣の人に先に言われると面白くないかもしれない。

人によるかもしれないけれど、息子も、もしも、私と似ていれば、きっと面白くないだろう。

 

今日は、本当に楽しかったけれど、反省した。

 

ここにも、親子学習の難しさがあったとは!

 

やっぱり難しいな、親子学習……。

 

 

芸人先生! ロバートから学んだこと!

4月から始まった、NHK総合のテレビ番組に「芸人先生」がある。

和牛、バイキングに続き、今週の月曜日は、大好きなロバートだった。

 

スパリゾートハワイアンへ行き講義!

 

私は、ロバートの秋山が特に好きで、彼が作り出す個性的なキャラクターに魅了されている。

 

どんな講義なんだろう?

って、ドキドキしながら、見ていると、面白いだけでなく、非常にためになる話が聞けた。

 

それは、「世界観」を大事にする!

という話だった。

 

スパリゾートハワイアンは、名称に“ハワイ”とついていて、“ハワイ”を売りにしているにも関わらず、施設自体やスタッフの対応に“ハワイ”を中途半端にしか感じられないというのだ。

 

壁紙だったり、テーブルクロスに、コスモスや雪だるまのイラストがあったり、スタッフに「アロハ」と話しかけても、照れてしまって、微笑むばかり……。

お客さんの気持ちの盛り上がりに、スタッフのハワイ感が負けてしまっている。

ああ、確かに。

 

もっと照れずに「世界観」を徹底してはどうでしょうか?

 

そう提案していた。

 

ロバートの指摘に、その通りだなって思うのと同時に、私自身がそういった「世界観」を作ることが苦手なので、自分のことのように胸にグサッときた。

 

演じたり、雰囲気を作ったり、ホスト側でも苦手だけれど、客の立場でも、そこの雰囲気にのまれるのが苦手というか、例えば、ディズニーランドに行っても、どっぷり浸かれないタイプ。

 

だけど、スタッフ側は、お客様のために、照れている場合ではなく、しっかり「世界観」を作るべきだという話には納得した。

 

今の仕事は、主に、裏方の仕事だけれど、それでも、時々、お客さまの前に立つこともある。

 

その時には、この「世界観」を大事にする! という話を思い出して、お客さまの有益になる情報が提供できるように努力したいと思った。

 

 

おそらく、教える側の問題。

昨日、息子のスイミングを見学した。

 

平泳ぎの初日だったから、気になったのだ。

 

平泳ぎって、どうやって教えるんだろう?

 

自分のことを思い出そうとしても、よく覚えていなかった。

誰にどうやって教わったっけ?

 

実際、息子は最初は、蹴伸びをさせられていた。

 

そのあと手の動きを教わり、そのあと足の動きを教わっていた。

 

なるほど、部分部分を覚えて組み合わせるんだな。

 

まあ、当たり前といえば当たり前だけれど、つい、教える側としては、忘れがちなことに気づかせもらった。

 

だけど……。

 

今日、息子と一緒に算数の問題を解いていたら、割り算の筆算が出てきた。

 

私は、問題集の例題に書かれている通りに、私なりにゆっくり音読し、説明したのに、息子は端から上の空だった。

 

仕事で疲れていたのこともあり、私はとてもイラっとした。

「やる気ないなら今日はやめよう! 代わりに理科の問題一人で解いて!」

突き放すように言ってしまってから、ちょっとだけ反省した。

 

相手が理解できないのは、相手が悪いのではなく、その人や状況にあった教え方ができていないからだ!

 

何かにそう書いてあったのを思い出した。

 

でもさ、私も疲れているからさ。

ちょっと言い訳してみる。

 

うまくいかない時で、可能であれば、時間と場所を変えよう!

 

そして、親子学習は、やはり難しいけれど、もう少しやろうと決めたんだから、自分も変わらないといけないな。

 

どんなに仲が良くても、うまく噛み合わない時もある。

 

そんな時は、そっと離れて、別々に過ごそう。

 

そうしたら、きっと、明日は、また、違う風が吹いているはずだ。

 

幸い今日は旦那もいるから、いつもなら揉めたあと淀みがちな部屋の空気も流れている。

 

ありがたい。

 

明日に期待しよう!

離任式で聞いた「別れの曲」に涙

今日は、息子の小学校の離任式でした。

 

保護者は、基本的には、参加できないのですが、PTAの役員をさせてもらっているので、その関係で、PTAからの花束とハンカチの贈り物をするために、末席に参加させていただけました。

 

離任する先生8人中、7人の方が参加してくださいました。

 

息子は今小学校4年生のなので、離任式は3回目です。

 

息子が2年生の時は、私は、役員ではなかったので参加できなかったし、こう言っては失礼かもしれませんが、あまり思い入れのない先生の離任だったので、少し、冷静に捉えていました。

 

昨年は役員として、参加させていただきましたが、それでも、お顔を存じ上げいてる先生という関係性の先生方でした。

 

しかし、今年の離任式は、息子の担任になってくださった先生、卓球の試合に助っ人として参加してくださった先生、PTAの役員としての仕事に携わってくださった先生など、本当に身近に感じていた先生が多く離任されたので、先生お一人お一人のご挨拶を聞くたびに涙が流れてしまいました。

 

離任する音楽の先生が、ショパンの「別れの曲」を体育館のピアノで引いてくださった時は、感動してしまいました。

 

児童たちの花道の後、体育館の出口の外で、先生たちに記念の花束とハンカチを渡しました。

たくさん話したいことがあったはずなのに、うまく言えませんでした、どうにか

「本当にありがとうございました」は言えました。

 

あとで息子に話を聞いたところ、息子も、1年生、2年生と担任を持ってくださった先生が挨拶されていた時、涙が出てしまったそうです。

 

先生方が、それぞれのお立場で、ますますご活躍され、そして、健康で過ごしてくださることを祈るばかりです。

 

どんなに素敵でいい先生でも、ずっと同じ時間を過ごせないのだから、せめて、今の時間を大事に過ごすように心がけようと、改めて思いました。

 

先生方本当にありがとうございました!

 

 

 

 

ぎゅっと凝縮した2時間!

今朝、息子がお腹が痛いと言ったので、正直参ったなと思った。

 

実質月末に当たる本日5/1は、経理周りの仕事のお手伝いをしている私にとって、重要な日だったからだ。

 

そもそも、やることは山ほどあるのに、息子が通う小学校の「個人面談の週」で、午前中で学校が終わってしまい、放課後に息子が行ける場所もお休みだったため、いつも14:30まで働くところ、12:00で帰らせてもらう予定だった。

 

それだけでも心苦しいのに、その上遅刻なんてしたくなかった。

 

だから、言葉でも、態度でも

「お母さん、今日、仕事だから、学校に行ってほしい」

というメッセージを息子に送った。

 

幸いなんて言ったら息子に悪いけれど、お腹の風邪とかではなく、トイレですっきりすれば解決しそうな腹痛のようだったので、ますますプレッシャーを与えてしまった。

 

多分、そのせいもあって、なかなか解決しなかった。

 

会社に対して、申し訳ない気持ち。

息子に対して、彼の気持ちに100%寄り添えない申し訳なさ。

 

それらを行ったり来たりしながら、手持ち無沙汰に時間は虚しく過ぎて行った。

 

友達との待ち合わせ場所に遅れるだけでは済まず、学校の登校時間も過ぎてしまった。

こうなったら、もう、私が教室へ息子を連れて行くしかない状態。

それでも、ある程度の時間だったら、私は遅刻しないで会社に行ける可能性は残っていたけれど、その時間も、残念ながら過ぎてしまった。

 

ああ。

会社の人に、申し訳ない。

でも、息子のことも放って置けない。

 

できるだけ、平静を装って、息子と手を繋いで、どうにか小学校へ送って行き、そのあと小走りに駅に向かった。

 

電車の中で、会社の人にお詫びと報告のLINEを送った。

会社への到着は、いつもの30分遅れだった。

 

よって、本日、私に残された時間は、2時間のみ。

これで、どうにか最低限の仕事を効率的に行わないといけない!

 

スイッチが入った。

 

自分なりに、頭の中で計画を立てたつもりだった。

けれど、今日は「実質月末」だったのだ。

上司にあたる人から、ある指示があった。

それは、私の計画とは違うものだった。

断るわけにも行かず、説明する時間もなく、その指示に従うと、いろんなところでほころびが生じた。

それは、決して、上司が悪いのではなく、30分遅刻したところからのほころびだった。

 

やっぱり説明した方がよかったのかも……。

 

そう思ったけれど、立ち止まって反省している暇もなかった。

その時、ベストだと思ったことを、行動しながら考えて、街を走り、そのあとに不意に現れたミッションにも、どうにか対応し、怒涛の2時間を終えた。

 

欲を言えば、あれもこれもやりたかった。

しかし、最低限のことは、どうにかできた。

 

そんな時間を振り返って、大変だったなとは思う。

 

だけど、もしかすると、おしなべて、人生をいうのはそういうものなのかもしれないと思った。

 

とかく、安定とか、変わりなく続く時間とか、そういったものを求めてしまうものだけれど、瞬間瞬間、目の前の選択をし続けて、人生は作られていくのかもしれない。

 

ベストではなかったかもしれない。

でも、一つ一つのベターを選択したつもりだ。

 

疲れたけれど、なんか、やりきったと思える自分もいる。

 

また、明日、朝がきて、今度は、PTAの仕事が待っている。

明日は明日で、分刻みのスケジュールだ。

 

大変だと思うけれど、息子と自分の健康を祈りながら、眠りにつこうと思う。