涙と笑顔のあいだ

HSC(ひといちばい敏感な子)中1ひとりっ子男子の子育てを通し成長させてもらいながら、日常のモヤモヤの純度を上げるべく綴る40代主婦のブログ

それぞれのバレンタインデー!

あ、もうすぐ、バレンタインデーだ!

買い物中に思い出した。

 

毎年、旦那と息子には、ささやかながらチョコレートをプレゼントしている。

あ、買ったやつだけれど。

 

実家にいるときは、父と兄にプレゼントしていて、結婚してからも、息子が生まれるまでは、わざわざ届けていたけれど、今は、もうプレゼントしていない。

 

自分が小学生とか中学生の時は、バレンタインデーは特別なものだったし、好きな子に、チョコをプレゼントするとかしないとか、ドキドキしていたけれど、そう言えば、男側の気持ちをあまり考えたことがなかった。

 

周りの子がもらっているのに、ひとつも、もらえない寂しさ。

もらえたけれど、あまり好きではない子からもらってしまった困惑。

なんとも思っていなかった子からもらったことで意識し始めるときめき。

大好きな子から、義理チョコだと言われてもらった戸惑い。

大好きな子から、本命チョコをもらった幸せ。

 

色々な思いがきっとあるんだろうな。

 

息子は、まだ、本命チョコとやらをもらったことがない。

まあ、小学3年生だから、もらえる子の方が少ないのかもしれないけれど、周りには、放課後わざわざお家に届けたりする子もいるというから、母として、わずかばかりだけれど、ざわざわする。

まあ、もらったらもらったで、お返しをどうするのかとか悩ましいと思うけれど、息子の心中を察すると、どうしたものやら。

 

幸い、まだ、本人は、あまり気にしていないようだし、まだ、私のことを大好きなようだから、ささやかなプレゼントで満足してもらえたらいいな。

 

バレンタインデー。

いつしか、家族にチョコレートを渡す日になっているけれど、若い頃は、それなりに、ドキドキソワソワしていたっけ。

 

そんな幼い日のことを今から、1年半ほど前に、天狼院書店で受講していたライティング・ゼミの課題で書いて、天狼院書店のホームページに載せてもらった。

ああ、確かにこんなことあったなぁ。

 

もしも読んでいただけたらありがたい!

 

ホワイトデーにスポーツバックの中に包みが入っていたから…… | 天狼院書店

 

 

 

自分が心地よい姿

高校の時からの友だちに会ってきた!

 

昼間っから飲んできた!

 

楽しかった!

 

普段の自分と同じまま、過去の自分に戻れた気がするから、おそらく、高校生くらいの時から、自然体でいられているんだと思う。

 

そう考えると、私は、中学校の時の友だち、小学校の時の友だちと会ったら、当時のキャラクターで接することができるか、ちょっと不安だ。

 

当時、どんなキャラクターだったろうか?

 

今より真面目だった気がする。

ああ、今よりシャッジする人だったなあ。

今より何かを背負っていたかも。

何かの期待に応えようとしていた気がするなあ。

 

あれ? 今も、そんなに変わらないか!

でも、明らかに、今の方が自由で、楽しい。

 

なぜか、小学生、中学生の時に、周りから「ちゃんとしているように期待されている」と勘違いして、頑張りすぎていた。

だけど、高校生の時、ふと「もしかして勘違い? 誰からも期待されてない?」って気がついて、自由になれた気がしたんだったなあ。

 

ところが、別に誰からも期待されていないにしても、「できるだけちゃんとやりたい」という思いは、自分の中から出てくるものでもあって、未だに、「できるだけちゃんとやりたい」って思っている。

 

しかし「義務」でちゃんとやらないといけないのと、「自由意志」でちゃんとやりたいとの間には、同じようで、天と地との違いがある。

心地よさが違う。

 

だからこそ、力を入れたり抜いたりしながら、苦手を助けてもらい、得意を活かしながら、今は、結構機嫌よく、忙しい毎日を過ごせていると思う。

 

「ポジティブエネルギーで溢れているから、会った後、元気になれそうだったから会いたかった」

今日、会った友だちにそう言われたのは嬉しかった。

 

いつもいつもポジティブでいられるわけではないけれど、イメージだけでもそう思ってもらえるように、これからも、ご機嫌な時間を過ごせたらいいなと思う。

「PTA活動なんて、大変なのによくやるよね?」と言われて思ったこと

「大変なのによくやるよね?」

友だちにそう言われた。

 

確かに……。

 

なぜPTA活動をしているんだろう?

 

そんな風に、たまに考えることがある。

 

一緒に活動をしているママたちは、どうやら子どもが好きみたいで、子どもたちの発表を聞いて

「可愛いね! 立派だね!」

と目を細めて言ったりする。

それに、お手伝いをすることで、公開授業以外の授業風景なども見ることができて、ラッキーだと言う人も多い。

 

確かに、言われてみればそうなのかもしれないと思う。

 

だけど、私は、考えてみると、「子どもたちの様子をぜひ見たい」と思うほど、子ども好きではないし、できることなら、少々面倒に思うお手伝いを誰か他の人がやってくれたらいいな! と思うことすらある。

 

じゃあ、どんなメリットを感じて参加しているのかというと、「先生と話しやすくするため」である。

 

別に、活動をしているから、我が子に対する態度をよくしてくれたり、なんからの優遇をしてくれるということはないはずだし、あってはいけないと思うけれど、それでも、顔を合わせることが多い分、何か、出来事があった時に、「こんなことがあったんですよ」などと話してもらえるチャンスが多かったり、こちらの心配事を話す機会も多くあると感じている。

 

あまり、自慢できる立派な動機でなく、そんな美しくもない理由で、活動を続けるのは、不純かもしれない。

けれども、先生と交流が増えると、よくも悪くも「先生だって人間なんだ!」と思うことが多くなり、一方通行ではない血の通った学校との関係を実感できる。

 

「先生」って呼ばれていても、完璧ではないかもしれない。

けれど、先生ひとりひとりが、悩みながら、工夫しながら、児童たちと向かい合い、子どもたちの成長を応援してくれているんだなってことがひしひしと伝わってきて、そのことに感動する。

 

 

今日も、「収穫祭」という、地域の人たちの協力を得て子どもたちが育てた野菜やら、米やらの収穫を祝う会があった。

その発表を聞いたり、餅つきをしたりする行事だ。

それの後の反省会という名の、先生と保護者と地域の人たちの交流会の準備をPTAとして、したのだけれど、その時に

 「3年生の発表、本当に素晴らしかったです」

「5年生のスライド、すごく面白かったですが、どんな風に作ったんですか?」

少し無邪気すぎるかな? と思いながらも、感じたことを言ってみたら、先生たちの顔がパーっと明るくなった。

 

「子育て中にもかかわらず、子どもが苦手」という事態に、私自身、少々の引け目を感じていた。

けれど、そんな私も、PTA活動を通して、先生を信頼し、感謝し、感想を届けることで、微力ながら、教育の応援ができているのだとしたら、嬉しく思う。

手持ちの資料をクラスのみんなに紹介したい息子の気持ち

今日、ヒヤリとした。

もしかして、息子の成長の芽を摘んでいるのは、私なのかもしれないと思ったからだ。

 

「これカラーコピーして! 学校に持って行きたいから!」

昨夜、息子にそう言われた。

「え? また?」

「だって、これって役に立ちそうだし、みんなに紹介したい」

「うーん。わかったよ」

渋々、私は、家のプリンターのコピー機能を使って、通信教育のテキストをコピーした。

社会のページの、色々な生活用品の、昔と今の違いの表だった。

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確かに、手書きのイラストで、わかりやすいし、楽しい絵だった。

でもさ……でも、これって学校に持って行かなくてもいいんじゃないかな?

 

息子が学校に、自分の持っている資料を持って行きたいと言ったのは、これが最初じゃなかった。

初めは、旦那と息子がふたりで行った「昭和館」という靖国神社の近くの資料館でもらってきたパンフレットを、社会の授業に関係がありそうだから持って行きたいと言ったのだ。

お! なんだか、勉強家!

そう、一瞬、思った後で、待てよ? と思った。

これ見よがしに持っていくのはどうなんだろう?

迷惑ではないだろうか?

自慢、というわけではないけれど、どうなんだろう?

なんだか、色々なことを考えてしまって

「やめておいたら?」

そう言ってしまった。

「どうして? いいじゃん、持って行きたいんだよ」

「うーん」

そのやりとりを見ていた旦那が

「いいじゃん、持って行けばいいじゃない」

と言ったところで、多数決により、息子は持って行った。

どうして、頑なに、持って行かない方がいいと自分が思ったのか考えてみたら、せっかく持って行ったのに、もしも、迷惑がられて息子が傷ついたら嫌だなって思ったからだと後で気がついた。

 

学校から帰ってきた息子に聞いたら

「いいね! って言われたけれど、時間がないから、また今度ねって言われた」

と言った。

うーん。これは、体良く断られているのでは?

「また持っていくの?」

「うん。持っていくよ」

「そう」

息子は、先生の言葉を文字通り信じているようだったので、ここは、黙っておいた。

で、次回、また、持って行った。

「どうだった?」

「画面に映してくれたよ」

「え? そう! よかったね!」

どうやらOHP(オーバーヘッドプロジェクターシーター)だかのスライドのようなものに映し出してくれたらしい。

ああ、疑って悪かった。

先生ありがとうございます。

私は、小さく反省し、もうこの件は終わりになると思った。

ところがである。

 

「このページ、コピーして持って行きたい」

息子が言ったのだ。

「えー!」

しかし、まだこの時は、2回くらいは先生も、例え面倒だと思っても、受け入れてくれるかな? と思った。

どうしても、持って行くと聞かなかったので、これっきりだよ! と心の中で思いながら、コピーし渡した。

 

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そして、帰宅後聞いた。

「どうだった?」

「時間がなくて、取り扱ってくれなかった」

「そうか」

残念だけど、仕方ないよね。

きっともう、これで、持って行くと言わないだろうな。

ちょっとホッときた気持ちも生まれた。

しかし……。

 

「これカラーコピーして! 学校に持っていきたいから!」

昨夜、息子にそう言われた。

またか!

この前、扱ってもらえなかったのに、持ってくのか!

でもやはり、どうしてもというので、コピーして持たせた。

 

今日、私は、別件で、小学校にいた。

明日の学校行事を手伝ってくれる地域の方々への、お礼かたがたもてなすための食材を買った後、近隣に新しく病院を立てることになったので、小学校の保護者の意見も聞きたいと言われて集められた会合の、その間の空き時間でのことだった。

同じクラスのママ友と一緒に居て、息子の、その「手持ちの資料をクラスのみんなに紹介するために持っていく件」について話した。

「いやあ、参っちゃうよ。何回もさ、資料持ってこられても先生のリズムもあるからさ、困らせちゃうよね?」

私は、素直にそう言った。

本当に、そう思ったからである。

すると、ママ友は

「いいんじゃない? 何かに興味があって、それを人に見せたいって思うのは悪いことじゃないし、担任のあの先生は、そういうことをちゃんと汲み取ってくれるタイプの人だから、大丈夫と思うよ。いいことなんじゃない?」

「そう……かあ……。ありがとう」

 

先生も、そのママ友も、息子の興味について、肯定的に思ってくれているんだ。

私は、ありがたさを感じるとともに、息子を応援できなかった自分を反省した。

 

考えてみると、私は、息子に対して「人に迷惑をかけないで欲しい」という思いが強い。

それだけではなく、息子の行動に対して、「余計なことはしないで」と思ったりしている。

多分、余計なことをして「傷ついて欲しくない」んだと思う。

 

でもこれって、親の身勝手な思いだし、知らず知らずに息子の人生の邪魔をしたり、成長の芽を摘んでいやしないか? と思った。

そうしたら、怖くなった。

 

今日帰ってきた息子に、資料はどうだったのか? って聞いたら、授業で取り扱ってくれたと言ったので、ホッとした。

 

明らかに、よくないことをしようとしていたら、親として注意するべきだけれど、傷つくのを懸念して、行動を止めようとしていることってないだろうか?

毎回、そう考えることは、難しいかもしれないけれど、時々、思い巡らせてみる必要もあるかもしれない。

 

まだまだ私は親として未熟だ。

 

気がつかせてくれたママ友と先生に感謝したい。

心に残るあの人の言葉

「おめでとう!」
公募で応募して佳作をいただいた話をしたら、友だちがそう言ってくれた。
「ありがとう」
そう言いながら、モヤモヤした。
佳作は、作品が発表されない。
ということは、お蔵入りかあ。
残念に思いながら、仕方ないと諦めていた。
しかし、つい最近、ご縁があり、一緒に働くことになったある方に、世間話でその話をした。
すると、自分のブログなどに載せていいか聞いてみてくれると言ってくださり、今日回答をいただいた。
「自身のHPなど、商用以外なら、再掲載OK」
嬉しかった!
有り難かった!
こんな小さな声に耳を傾けてくれたことに、本当に心から感謝したい。
早速、noteに載せてみた。
久しぶりに読んだら、色々な思いが湧き上がった。
当時の気持ちも蘇ったが、もっと書けたのではないかという思いも……。
いずれにしても、思い出深い作品となった。
もしよかったら、読んでいただけたら、さらに、嬉しい!

note.mu

 

 

 

「行くと決めたから行く!」

水曜日のこの時間、私は、このテーマのブログを書く比率が非常に高い!

 

「息子とスイミング!」

 

今日も、悶着後、息子をスイミングに連れていった。

 

母としての気持ちがグラグラ揺れて、心を鬼にすると決意したはずが、またグラグラ揺れて……。

その繰り返しだ。

 

今日も朝から頭痛がすると不調を訴えてた息子。

熱を測ると平熱。

今日はPTAの仕事で学校に私も行くから、とりあえず、学校に行って、もしもどうしてもつらければ保健室に行ってねと言って、送り出した。

 

スマホを気にしながら作業するも、連絡なく、代わりに、ママ友のスマホが鳴り、保健室に向かっていった。

発熱したらしい。

可哀想に……。

他のうちの子の体調が悪いと聞くと、素直に気遣う言葉が浮かぶのに、我が子のこととなると、ため息をつきそうになる様は、自分のことながら嫌気がさす。

 

結局、その子は、少し寝たら、回復したらしく、教室に戻ったと聞いて、ホッとした。

 

ママ友と、一緒に、教室に様子を見にいったら、息子と会った。

私の顔を見るなり

「まだ少し頭が痛いんだ」

と言った。

「うん」

そう言ったきり黙ったら

「嘘じゃないよ」

と言った。

「うん」

私の顔に、疑ってると書いてあったのかな?

信じてはいたつもりだけど、嘘であってほしかったのは確かだった。

 

とりあえず、学校には最後まで居られる感じだったから、普通に帰ってくるように言って、私は買い物をして家に先に帰った。

 

遅いお昼ご飯を食べながら、息子が帰ってきてからのことをシミュレーションした。

・熱が出て休みたいと言う場合

・熱はないが、頭が痛いから休みたいと言う場合

 おそらく、この二つのどちらかになるはずだ。

 

熱が出ていたら、やむなし。休ませるしかない。

問題は、熱はない場合。

熱がなくたって頭痛がする場合はもちろんある。

しかし……。

 

熱がない場合に休ませることを考えると、自分でも不思議なくらい、苛立った。

あまりに、苛ついて、空想の中で、ものを破壊していたし、何か硬いものを食べたくなり、厚焼きおせんべいをバリバリ食べた。

このまま、息子に会ったら、言葉や態度で傷つけてしまいそうな自分が怖かった。

 

なんでだろう?

なんでこんなに息子が嫌がるのに、スイミングを休ませたくないんだろう?

いっそのこと、やめさせてしまえば、私だって苦しまなくて済むのに……。

 

旦那にLINEをして、今日、どうしても行きたくないと言ったら休ませていいと思うか、相談してみた。

何度かのやりとりの末、休む条件として「頭が痛くて休むんだから、今日は目が疲れるYouTubeとゲーム禁止。そして、スイミングは明後日に振り替える。来週は、絶対行く」と提示することにした。

 

息子が帰ってきて熱を測ると平熱だった。

頭はまだ痛いと言う。

「じゃあ、もし、休むならさ……」

条件を提示した。

「ちょっと考えさせて!」

そう言ってしばらくして

「行くことにする」

息子はそう言った。

 

そのあと、どうして、平泳ぎまで習って欲しいのかをハグしながら話した。

中学に行ったら、授業に平泳ぎがあること、だから、平泳ぎの泳ぎ方は習っておいてほしいこと、水泳以外にも、嫌でもやらないといけないことがたくさんあるから、もちろん頑張らないといけないのは先のことだけど、今やっておくと少しは楽だと思うから、嫌がってるのにやってほしいんだ! ということを話した。

 

そうしたら、息子は泣いていた。

私もうるっとした。

息子のためと言いながら、自分を正当化している懸念があることを認めつつ、それでも、ちょっとずるい自分をゆるした。

 

おやつを食べ、YouTubeを少し見て、そろそろと準備を始めた。

「本当は行きたくないけど、行くって決めちゃったからな……」

少し笑いながら息子は言った。

 

なんて言っていいかわからず、私も少し笑った。

 

「行ってくる」

ロッカーの前で後ろを振り返らずに行っていった息子。

 

「行くと決めたから行く」

その言葉に、成長を感じた。

 

私たちは、いつも同じようなところで、押し問答している親子だけど、同じようで、少しずつは、強くなっているはずだ!

まるで、らせん階段を登るように!

 

 

 

 

 

 

 

質問せずにはいられない性分

「こんなこと聞いたらバカなんじゃないか? と思われる気がしてなかなか聞けないことをさ、聞いてくれるから、スッキリするんだよね」

学びの仲間にそう言われて、苦笑いした。

 

そっか、質問って誰でも、平気でできるものじゃないんだ!

 

そんな私は、質問することに躊躇がなくて、疑問に思ったことがあるのに、聞けないと、逆にモヤモヤする。

だから、バカだと思われるかな? なんて考える前に手を挙げていることが多い。

 

あ。

質問しすぎて厄介なやつだなって思われてるんじゃないかな? って不安になることはある。

 

だから、その相手の人が

「質問してもらって、何がわからないか知ることができてよかったです」

なんて言ってくれるとホッとする。

 

「質問するってことは、話をよく聞いていないとできないってことだからいいんだよ」

学びの仲間は、そうも言ってくれた。

 

正直、自分の、「質問せずにはいられないところ」はあまり好きでないし、時には相手をドキッとさせたり、厄介だなって思わせてしまうかもしれないけれど、それでも、「いいところ」でもあると仲間に言ってもらえて、ちょっと嬉しかった。

 

自分の持っている、どうしても変えることの難しいことを「短所」だと思われるよりも、「長所」と捉えてもらえる場所に身を置けることは幸せだ。

 

もしも、環境を選べるならば、「長所」だと捉えてもらえる場所を選びたいし、もしも、「短所」と捉えられる場所にいたとしたら、きっと見方を変えたら「長所」になる可能性があるということを思い出せたらいいと思う。

 

そして、誰かさんのちょっと厄介な部分も、もしかしたら「長所」とも捉えられるんじゃないかと柔軟に考えられるような人になりたい。