涙と笑顔のあいだ

ひといちばい敏感な小学生ひとりっ子男子の子育てを通し、母として成長させてもらいながら「ライター・小説家」になる夢も諦めない40代主婦のブログ

婦人科の精密検査の結果を聞くまでに感じた違和感

今日、婦人科に行った。

子宮がん検診の精密検査の検査を聞きに行ったのだ。

 

結果は……とりあえず、今のところ大丈夫ということだった。

ホッとした。

 

力が抜けていくのを感じて、やはり、緊張していたんだと思った。

 

1週間前、精密検査をして、診察室を出る時

「検診にひっかかっちゃったと思って、落ち込んでいるかもしれないけれど、もし、精密検査でも異常が出たとしても、順を追って治療していけば大丈夫だから、あんまり、心配しないで」

そう、声をかけてくれた婦人科の先生は、さすが、私の、気持ちを正確に読んでくれていた。

10年前に切迫流産を起こした時も、不安でいっぱいの私を厳しくも温かく励ましてくれたっけ。

 

年に数回しか会わない先生ではあるけれど、婦人科というデリケートな場面で接する人として、本当に絶妙にありがたい存在だ。

 

今日は、子宮の入り口にできていたポリープを取って治療は終わった。

その検査の結果を来週聞きに来るように言われて、病院を出た。

 

空の色が、ワントーン、明るく感じた。

 

年齢を重ねると、だんだんと、体にも不具合が出てくる。

その不具合に気づくと、ああ、生身の人間なんだなって改めて感じる。

 

先週、ガンの可能性を示唆されて、正直参った。

 

思わず、自分の今やっていることや、この先、1年くらいの見通しを考えた時、「自分のため」というよりは、「人のため」「誰かに感謝されたいため」にやっていることが圧倒的に多いような気がした。

もちろん、それらを引き受けようと、決めたのは私であり、引き受けたからには、精一杯やるつもりなんだけれど、なんだか、これらをずっと続けるのは、本意ではない気がしたのだ。

 

今日、とりあえず、今のところ大丈夫だと、わかったところで、ホッとし、では、予定通り、「人のため」「誰かに感謝されたいため」にやっていることで、埋め尽くされた日常に戻っていいのか? と自問自答し、否、それでは嫌だなと思った。

 

もちろん、すでに引き受けているもの、引き受けると決めたものは、一定の期間は、尽力しなくてはならないと思う。

しかしながら、それだけではなく、生活の中に「自分のため」の時間を作り出し、浸透させた方がいいし、そうしたいと思った。

 

では、「自分のため」の時間とは何だろう?

 

笑うことなのか? 感動することなのか? 書くことなのか?

 

正直、もう少し考えてみないとわからない。

 

しかし、このままでは嫌だと思った違和感を大切に、どう生きるかについて、今一度、考えてみたいと思う。

 

「人のため」と「自分のため」がイコールになったら、それこそ、最高だと思うから、その共通点を探ってみたいと思う。

あれ? あの子と仲良くなったの? って驚いて、気づいたこと!

息子の交友関係が、年々複雑になってきている気がする。

 

昨年度から、同じクラスだったはずなのに、昨年の今頃は、全然仲良くなくて、今年度になってから、仲良くなったふたりの友だちと、今では、学校の中で、3人で、ずっと一緒にいるという。

 

それだけなら、ちょっと微笑ましくて、いい感じだと思うばかりだけれど、昨年度、何かと意地悪をされて泣かされていたある男子が、先日、我が家に遊びに来たのには驚いた。

 

「めずらしいね。大丈夫なの?」

本当は、もっと色々聞きたかったけれど、うまく言葉が出てこなくて、もうすぐその子が来るよという状況で、不安そうに尋ねたら、息子は、

「大丈夫」

と言って、小さく頷いた。

揉め事がありませんように……別の部屋から、漏れ聞こえてくる話し声を、聞くともなく聞いていたけれど、特に何か揉めることもなく、お互い譲り合って、楽しそうに遊んでいた。

とりあえず、その日は、杞憂に終わった。

 

あとで聞いたところ、もう一人のお友だちと遊ぶ約束をしていたら「俺も行きたい」と言ってきたらしく、積極的に、こちらから誘ったわけではなかったようだけれど、私が、息子が意地悪をされていた当時、苦し紛れに言っていた

「意地悪をされたことは嫌だったね。でも、きっとその子にもいいところがあるはずだよ。探してみよう」

という言葉が、息子の心に響いていたようだったのは、よかったと思う。

そう言えば、あの時は

「いいところなんてない」

って泣いて訴えたていたけれど

「優しくしてもらった」

なんて、報告してくれることも、少しずつ、出てきたっけな。

 

そんないいところ探しの時間を通してきたからこそ、その子がうちに遊びにきても、その場では仲良くできるくらいに、気持ちは落ち着いていたのだったとしたら、それはそれでいい気がする。

 

もしかすると、我が子が傷ついたことを忘れられなくて、こだわっているのは、親の方だったりするのかもしれない。

 

そう言えば、こんなこともあった。

 

ずっと仲良く遊んでいた、近所の女の子と、半年くらい前にもめて、息子が謝る形で一応は仲直りしたはずだったのだけれど、なんとなく、ギクシャクして、あんまり話さなくなっていた。

 

しかし、今日、久しぶりに一緒に、楽しく話をしながら帰ってきたらしかった。

 

実は、もう一人近所に女の子がいて、その子が今日はお休みだったのだ。

 

でも、今日おやすみだった子とも、息子は二人で遊ぶことはたまにある。

 

どちらかが好きで、どちらかが嫌いというわけではないようだ。

 

ただ、女子が二人でいるところに、自分が入って、話をするのは苦手みたいだ。

 

まあ、そうだろうな。

それも、成長の証かもしれない。

ああ、しかし、よかったなあ。やはり、親としては、勝手ながらも、仲良く話す姿を見ると、安心する。

 

実は、もっと話をすればいいのに、と息子に話しかけるように、アドバイスしようかと密かに思い悩んでいた。

でも、そんなことしないでよかった。

話す時は、話すし、話さないからといって、仲が悪いわけではないんだ。

 

ここまで書いてみて、大人も一緒だなって思った。

いや、もしかすると、違うような気もする。

もし、大人と子どもが違うとしたら、子どもの方が、もっと、その時の自分の気持ちに正直で、過去の相手よりも、今の目の前の相手のことを信じようとし良好な関係を作ろうって歩み寄っているようにも思える。

 

これから、もっと、複雑になって、お互いに、過去のやり取りを水に流すことができにくくなっていってしまうかもしれないけれど、大人になってからだって、いつだって、相手の成長の可能性や自分の成長の可能性を信じられたら、新たな関係が築けるのだと思う。

 

言うは易し、行うは難し……ではあるが、子どもたちの柔軟性に学んで、私も、自分を人を信じていく道を行きたいなって、思った。

 

息子がときめいた"GOOD DESIGN"

一昨日、自分の行きたかった学びの場へ、行かせてもらいました。

その日、息子と旦那は、ある展覧会へ行きました。

それは、“GOOD DESIGN EXHBITION 2018"!

 

archive.g-mark.org

 

楽しかったようです!

ああ、私も行きたかったなぁ。

 

息子に、特にどれがよかったか聞いたら、間髪入れずに、これだと言いました。

 

nuigurumi-hospital.jp

 

ぬいぐるみが好きな息子。

私が、ぬいぐるみを「あれ」というと、「それはひどい。ちゃんと、名前を呼んでよ」という息子としては、素敵なアイデアだったのだと思います。

 

ホームページを拝見し、ぬいぐるみを大切にすることは、人の気持ちを大切にすることに通じる気がしました。

 

素敵なデザインです。

 

このほかにも、色々とあったようです。

 

来年は行ってみたいな!

息子のスイミングの進級テストの不合格後の母としての心境の変化

今週の水曜日のことですが、息子のスイミングスクールがありました。

この日は、2ヶ月に1度の進級テストの日でした。

 

今、息子は平泳ぎを習っていて、25m泳げたら合格するのですが、残念ながら、不合格でした。

合格できなかった理由は、泳げる距離が足りないというより、まだ、平泳ぎの足の動きをマスターしていなかったからのようでした。

 

同じクラスで仲の良かったお友だちは、ふたりとも合格して進級してしまいました。

しかも、そのうちのひとりは、2つ下の子です。

 

本人は、悔しくて、悲しかったと思います。

私も、正直、残念で、悲しい気持ちでした。

 

だけど、息子がスイミングを始めてから4年半のスイミングの進級テストで不合格だったときの中で、一番私の気持ちが落ち着いていました。

 

不思議でした。

 

どうしてだろうかとちょっと考えてみたので、それを書いておこうと思います。

 

まず、私が、「息子のスイミング問題」について、どれだけ心を揺さぶられていたかを知っていただきたいのです。

どれだけ、揺さぶられていたかというと、noteにこんな記事を書いたほどです。

 

note.mu

 

これは一年前に書いたものです。

 

あれから、一年。

 

この後、普通のクロールも、背泳ぎも泳げるようになりました。

本当に頑張ったと思います。

 

今回落ち着いていられたのは、息子の頑張りが伝わってきたことや、早く進んで欲しいというよりも、できるだけ長く、スイミングを続けて欲しいという気持ちに変わったからだと思うのです。

 

もう、知っている同級生が、スクールにあまりいないことで、物理的、反射的に人と比べることが減っているという理由もあると思うし、とりあえず、クロールは泳げるし、というほんの少しの余裕もあると思います。

 

私が人間的に成長して、心が広くなったとか、親として懐が深くなったとか、そんな、立派な理由ではないのですが、視点を変えることで、心の状態も変わるんだなって実感したのです。

 

スイミングを長く続けて欲しいというのは、息子は、あまり運動が好きではないので、運動不足解消の為にも、できれば、小学校卒業まで通って欲しい気持ちもあるからです。

 

しかし、「25m泳げるようになるまで」「25m正しいクロールが泳げるようになるまで」「平泳ぎが泳げるようになるまで」(平泳ぎの前に背泳ぎを泳げないと進級できない為、結果的に、背泳ぎも泳げるようにならないといけないというカラクリもあり)とジリジリと親の意見で、時期を伸ばして来たものの、いよいよ、平泳ぎが泳げるようになったら、なってしまったら、「わかった! やめていいよ」と言わないといけない状態がやってくるのです。

 

それが、今回、合格できなかった為に回避されたという、親の都合もあります。

 

そう考えると、私は、ちっとも、成長していないですね。

 

でも、4年半前、泣きながらプールフロアを歩いていた息子が、後もう少しで平泳ぎができるようになっているんですもの、やっぱり、通わせて良かったなと思うのです。

 

息子と行き帰りに、学校のことや、ゲームのことを喋りながら、スイミングスクールに通う道々も、もうすぐ思い出になると思えば、感慨深いです。

 

いやー改めて、スイミングには、いろいろなことを学ばせてもらっています。

 

いずれにしろ少なくとも後2ヶ月は、通うことになりそうです。

息子のペースでじっくり習得してもらいたいと思います。

 

息子の意思で「楽しいから、もう少し続けたい」ってもし思ってくれたら、嬉しいなと思います。

 

息子の変化

息子へ

 

最近、友だちとの時間を楽しんでいる君の姿を見ていると嬉しいんだ。

 

クラスメイトだったり、年下の子だったり。

 

ひとりでいる時より、乱暴な言葉が気になったりして、気づけば注意してるけど、優しくしたり、優しくしてもらったりをみていると嬉しくなるよ。

 

ひとりっ子で、ひといちばい敏感で、なかなか、輪に入って行けず、お友だちらしい子ができなかったね。

 

休み時間に、ひとりで校庭を散歩していると聞き、こんな風に思っちゃいけないって思いつつも、切なくもなったんだ。

 

決して、ひとりが悪いわけじゃない。

ひとり時間も大切だよ。

 

だけど、人と気持ちが通じ合うことの楽しさも知って欲しかったんだ。

 

ずっと、今の感じでいけるかは、わからない。

ケンカするかもしれない。

 

でも。

少しずつ、自信をつけて、

「遊ぼう」

って君が言えるようになったことは、嬉しいんだ。

 

一喜一憂してる「おかあさん」はバカみたいだね。

 

でも、君の笑顔が嬉しいんだよ。

 

これからも、それぞれの冒険に挑戦しようね!

 

応援しているよ! ずっと!

 

1日を振り返って……

怒っても仕方ない……

 

きっと何か事情があるんだろう……

 

ここはひとつ冷静に……

 

理不尽なことが起きた時、つい、相手の気持ちや事情を考えて、怒れなかった。

 

それで、自分がいいなら、いいんだと思っていたけど、大事にされなかった「私の気持ち」が、怒りを通り越し泣いている気がする。

 

対外的に、怒りを表さなくても、「私の気持ち」を、包むことはできるはず。

 

つらかったね。

悲しかったね。

頑張ったね。

 

そう言って、自分のことをハグしてみたら、少し落ち着いた。

 

怒って然るべき時に、怒れなかった自分が少し不甲斐ないけど、怒りを表さずに切り抜けた自分をゆるし、むしろ、誇りに思おう。

 

咄嗟の時に、相手の立場を思えることは、多分、悪くない。

 

後は、自分の気持ちにも、相手の気持ちと同じくらい、いや、それ以上に共感して、大切に扱おう。

 

それが、学べたんだ。

多分、今日も、いい日。

苦手なものを誤解している可能性

顔を合わせること。

会話をすること。

 

あまり得意でない人ほど、それが大切だと感じる。

 

人づてに、聞いた噂。

文字だけで、やり取りした印象。

 

それらの限られ、偏った情報だけで、思わず、マイナスの感情に包まれることがある。

 

なんか嫌だな。

合わないな。

 

そう思ってしまうと、うまくいくこともいかなくなる気がする。

 

何かの具合で、実際会って、話してみると……

あれ? なんか、そんなに嫌じゃないかも。

結構、話していると楽しいかも!

なんてこともあるかもしれない。

 

あまり大きな声で言えないけれど、私にも、ちょっと苦手な人がいて、会うことが億劫になっていた。

 

しかし、実際に会ってみたら、印象が変わった。

思っていたよりも、いい人だと感じ、楽しく過ごせた。

 

会ってみると、その人にも事情があって、私が、ちょっと嫌だなって思っていたことをゆるせる気持ちがうまれた。

 

苦手とすること全てと対峙しないといけないわけではないけれど、もしも、どうしても、逃げられないことだったら、思い切って、向かい合ってみるのもいいかもしれない。

 

私は、ほんの少しだけ、心が広く、深くなれたような気がしたから……