涙と笑顔のあいだ

HSC(ひといちばい敏感な子)中1ひとりっ子男子の子育てを通し成長させてもらいながら、日常のモヤモヤの純度を上げるべく綴る40代主婦のブログ

お弁当づくりについて、今、思っていること

来週から、高校一年生になる息子のお弁当づくりが始まる。

 

とりあえず、息子と一緒に本屋に行ったとき「これならお母さんも作れるんじゃないかな?」と言いながら、できるだけラクに作れそうな本を息子が差し出してきた。

 

パラパラとめくってなんとなく良さそうだからそれを買った。

 

買ったのだけれど……

 

正直とても緊張して、肩がガチガチに凝っている。不安である。

 

料理が好きではない。得意ではない。

 

そういった自己イメージがあるからかもしれない。

 

朝ご飯と昼ご飯は定番メニューで、ほとんど調理していないけれど、夕食はかろうじて作っているような状態を20年近く続けている。

 

夕食もお馴染みの料理本に載っているメニューをローテーションし、レシピ通りに作っている感じ。

 

私の家族は優しいので、どんなものを作っても「美味しいね」と言ってくれるか、あるいは黙って完食してくれる。

 

だから、料理が好きではないし、得意ではないけれど、おそらくそれなりに普通に作れてはいるんだとは思う。

 

だから、大丈夫って思うことにしよう。

でもな、やっぱり不安だな。

 

ときどき、近所の先輩ママさんに会うことがあって「お弁当づくりが不安なの」と話すと「慣れたら大したことないよ」って言われる。

 

作り置きとか、冷凍食品とかも利用してどうにかなるよって言っていた。

 

そうだよね、どうにかなるよね。

 

きっと始まってしまえばどうにか作ったお弁当を息子に持たせるだろうし、それを続けていけばいいだけの話。

 

あ、そうか。

 

無意識に「お弁当づくりが楽しい!」って思えるようになれることを目標にしていることに気づいた。

 

それは目標が高過ぎる!!

 

いいよ。何かしらお弁当作れば、ということにしよう!

 

「思ったよりも、なんてことない」って思えたら御の字だ。

 

とりあえず、明日は息子と一緒に弁当箱を買いに行こう。

 

これらもきっと、後で振り返ったらいい思い出になるだろう。

 

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妹のような存在との早過ぎるお別れ

昨夜、親しかった友だちとの最後のお別れをしてきた。

 

23年前、私の職場に新人として入ってきた彼女はとてもシャイで、なかなか打ち解けてくれなかったけど、仕事や雑談を通して徐々と心を開いてくれるようになった。

 

年が8つ離れていることもあり、私は彼女を妹のような存在に感じていた。

 

誠実で努力家、素直で笑顔が素敵な彼女だったけど、ふと見せる寂しそうで不安そうな表情が気になっていた。

 

落ち込んでいるように見えると、労いの言葉をかけたくなった。冗談を言って笑ってくれると私がホッとしたものだった。

 

彼女は聞き上手で、いつも笑顔で真剣に話を聞いてくれたから、私は心地よくてずっと話し続けてしまうこともしばしばだった。

 

そんな彼女が、ポツリと話してくれるときは、心に秘めていたつらさをようやく吐き出したような感じで、私の胸はぎゅっとした。

 

私が何もしてあげられなくて、一緒に肩を落として落ち込んでいると「聞いてもらって楽になりました」と私を気遣ってくれるようなそんな優しい女の子だった。

 

彼女や他の同僚との当時の職場での時間はとても楽しかった。

 

ほどなくして、無情にも私の転勤をきっかけに離れることになったけど、時々会ってはご飯を食べたり、たわいもない話ができることが嬉しかった。

 

彼女の結婚式に、会社の元同僚ではなく、「友人」として招待してくれた上、その代表として挨拶をさせてもらえたことが光栄だった。

 

とても嬉しくて、心込めて書いた手紙を読ませてもらったことを覚えている。

 

旦那さんとその仲間たちの輪の中に彼女が入り、素敵なコミュニティができたことを知ったとき、取り残されたようで少しの寂しさを感じた。

 

けれども、彼女が本当に心から安心できる環境ができたと感じられ、喜んで、少し離れたところから見守るポジションになってもいいと思った。

 

彼女が出産したと聞いて、とても嬉しく、お子さんの名前入りのお茶碗とお皿をプレゼントしたのは5年前のこと。

 

赤ちゃんを抱っこさせてもらって感慨深かったことを昨日のように思い出す……。

 

彼女が、がんを患い、脳に転移したことにより終末期なのだと連絡をもらったのは、今月に入ってまもなくのことだった。

 

突然の知らせに驚いたと同時に、彼女が、ぜひ会いたいと言ってくれているという言葉に胸が熱くなり、すぐに駆けつけた。

 

自宅で横になっていた彼女は「お姉ちゃん、先輩たちが来てくださったよ」という妹さんの言葉に反応し、視力が落ちたと思われる目を細めて、私たちの姿を探してくれた。

 

手を握らせてもらって「来たよ。お久しぶり。会いたいって言ってくれてありがとう。私も会いたかったよ」と言ったら「会いたかったです」と笑顔で言ってくれてジーンとした。

 

「最近は、寝ている時間が多いので、来ていただいても話ができるかわからないのですが、それでもよければ」と妹さんに言われていたけれど、たまたま運よく彼女の意識がはっきりしている時間に伺えたようだった。

 

会えたこと、会話ができたことが嬉しくて、つい昔話をたくさんしてしまった。

笑ってくれたことが嬉しかった。

出会えて本当によかったとか、大好きとか、思いの丈を伝えて、温かい時間を過ごさせてもらってご家族には感謝しかなかった。

 

体が痛いのか、時々、つらそうな顔をすると、妹さんがマッサージしてあげていた。

 

「また良かったら来てください」と旦那さんは言ってくれたけれど、まだ5歳の息子さんと旦那さん、妹さん一家、ご両親、弟さんというご家族との時間を作りたいと在宅看護に切り替えたと聞いていたから、これ以上貴重な時間をいただくわけにいかないと思った。

 

だから、きっとこれが最後の会話にはなるだろうと思っていた。

 

だけど「またね」って言って家を後にした。

 

彼女が、可能な限り、愛で満たされた時間を過ごしてほしいなと祈るような気持ちで日々を過ごしてきた今週の月曜日、眠るように亡くなったと妹さんからご連絡をいただいた。

 

家族葬だけれども、もし良かったらその前に顔を見にきてくださいとご厚意で言ってくださったので、同僚とともに最後のお別れをしに行ってきた。

 

彼女の顔はとても綺麗で、まるで寝ているようだった。

 

出会えて良かったよ。

ずっと大好きだよ。

本当にありがとう。

 

それしか口から出てこなかった。

 

彼女が43歳という若さで亡くなることがとても残念に思っていたら、彼女の妹さんが、「実は、お姉ちゃんは、小学3年生の時に小児がんを患っていて、その時の生存の可能性が1%って言われた人なんです」という話をしてくれた。

 

しかも高校生で再発しそれも乗り越えたことも聞いた。

 

「残念な気持ちもあるけれど、それよりも、よく今までがんばってくれました。残念じゃなくて、お姉ちゃんよくがんばったって思うことにしました」と妹さんが伝えてくれた。

 

そうか、小さいときの彼女ががんばってくれて、彼女のご家族が彼女を支えてくれたから、私たちは出会えたんだ。

 

そしてまた会いたいと言ってくれて、体が痛い中たくさん話もしてくれたんだな……。

 

「強いお姉ちゃんでした」

 

「尊敬できる妻でした」

 

彼女がご家族に愛されていることは、その言葉からも、振る舞いからも、十分すぎるほど伝わってきた。

 

突然の私たちの訪問にも丁寧に接してくださることがありがたいとともに、彼女がご家族から愛されていることを表していると感じた。

 

悲しいのに、胸が温かい。

寂しいし、悔しいけど、感謝しかない。

 

彼女とは職場の先輩と後輩として出会ったけれど、たくさんのことを教えてくれて、離れていても存在を大切にしてもらっていた気がしたから、彼女のことを思うといつも心が温かくなれたんだ。

 

これからも彼女は、私の心の中にずっといてくれるような気もして、ゆっくりしてねと思いながら、ずっと友だちでいたいと思っている。

 

たくさんの愛を、心からありがとうね。ずっと忘れないよ。大好きだよ。

 

 

 

 

心地よいことをして、自分の機嫌を取ってみた

久しぶりのブログ。

なんか書き留めたくて書いている。

 

心地よいと思うことをやってみた。

何をやったかというと、

近所のカラオケで一人で2時間半歌ってみたのと、

YouTubeで川のせせらぎと小鳥のさえずりを聴いてみたこと。


日常の中でも、今すぐ「心地よさ」を味わうことはできるんだなと実感しなんだか嬉しい。


大きな夢を持つことも楽しいし、大切だけど、今できる「自分がいい気分になれること」を日常に取り入れることが大切な気がする。


未来は、今の積み重ねの先にあるから。

 

 

 

Nationalの冷蔵庫へ

今朝、冷蔵庫を開けたら、電気が消えて冷気も弱々しかった。とうとうこの日が来てしまったのか🥲

 


冷蔵庫の平均的な寿命は8〜12年くらいらしいが、うちの子は17年も頑張ってくれた。本当に有り難う。

 


別れ難いが、冷蔵庫がなくては困るので、急遽近所の家電量販店に買いに行った。

 


在庫限りの型落ちだけれど、性能は悪くないものが気に入ったのでそれにした。

 


急な出費で、ちょっと青ざめたけれど、比較的お財布に優しくてよかった👛

 


今日のお昼ご飯と、夜ご飯は、冷蔵庫にあるもので大丈夫そうなものを中心に作ろうって思って家に帰ってきたら、なんと、冷蔵庫が再び動き出していた😲

 


最後の力を振り絞って、新しい子が届く明日まで頑張ってくれる優しさなのだろうか?

 


それとも、まだ大丈夫だよって言っているのかな?

 


本当に動かなくなる最後まで一緒にいられたらいいけれど、いつ止まるかわからないままにしておくことはできないんだよ、心苦しいけれど🥲

 


健気に頑張ってくれた冷蔵庫に精一杯感謝しつつ、今、さっきまで冷やしてくれてたアップルジュースをいただいている。

 


今、君が壊れたのには意味があるのだろうか?

 


少なくとも、そのおかげで、今までの17年間を振り返ったり、当たり前と思う奇跡を私たちは過ごさせてもらってるのだと改めて感謝できた。

 


食材を冷やすだけではなく、給食の献立表とか学校の予定表とか、キッチンタイマーとかいろんなマグネットとかを貼らせてくれて、生活を見守ってくれたね。

 


今、心穏やかに、仕事に専念できるのも、再び電源を入れてくれた君のおかげです。

 


最後の一日をもう一度動くことによって見守ってくれて有り難う。

 


普段、モノたちに別段感謝の気持ちも伝えずに過ごしているけれど、本当に助けてもらえているんだなって、壊れてしまったときに気づきます。

 


冷蔵庫に感謝すると共に、ご縁があって我が家に来てくれたモノたちにも感謝したいと思います。

 


いつも有り難う🙏

 

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滝行日和

滝行に行ってきた。


昨年の7月に続いて、人生で2回目。

 

天気にも恵まれて、今回もよかった。

 

すごく体力が奪われるのと同時に、自分も自然の一部だと感じて、そこからエネルギーをもらえるような不思議な感覚。

 

滝に入った後に鏡に映った自分の顔がとてもスッキリと見えたり、しばらく文字通りぼーっとしてしまったりするのもなんかいい。

 

そのあとの登山と、リフトでの下山と、仲間とのおしゃべりを通して、少しずつ、日常に帰っていく。

 

何も変わっていないようで、生まれ変わったような気もして、心地よい疲れに包まれて、今日はよく眠れそうだ。

 

日常の中の「非日常」はいろんな気づきをくれるから、必要でとても大切だと感じる。

感謝。

 

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子どもの自己肯定感を育むヒントのひとつになるかもしれない!

敬愛する現役のアーティストの方々の取り組みを楽しませてもらったり、応援させてもらったりすることと同時に、美術史にも興味が出てきた私は、「美術解説するぞー」さん(略して、美術さん)の「大人に美術の楽しさを伝える」という取り組みにも大変お世話になっています。

 

有料(といってもとても良心的な価格)のオンラインセミナーもすごくいいですが、日々Instagramで発信されているストーリーや、週に一回のインスタライブ(ビジュラジオ)もすごく面白くて学びや気づきが多くありがたいのです。

 

美術に関する学びがほとんどなのですが、この前は「子どもの自己肯定感を育むヒント」をもらえた気がしたので、ブログでシェアしたくなりました。

 

第一回目のインスタライブ(ビジュラジオ)で、美術さんが中学校の美術の先生を辞めて、今の「大人に美術の楽しさを伝える活動」を始めた理由について話してくれていました。

 

さまざまな理由があるとは思うのですが、そのきっかけの一つに、一生懸命生徒が作った作品を家で親に捨てられてしまった、という話を聞いてショックを受けたから、というのがあったと言われていたのです。

 

だから、直接子どもに美術を教えるよりも前に、こうした多くの人に発信するという活動を通して、多くの大人に美術の楽しさを伝え、それを聴いた大人たちがそれぞれの形でさらに広げてくれることを目指したいと思ったのだそうです。

 

そして、ビジュラジオでは、「子どもの作品をどう保管するか?」という話も出ていました。

 

それは、「保管するのではなく、いっそのこと、額装して、家に飾ってしまったらいいのではないか?」という話だったのです!

 

そうした、自分が一生懸命作った作品を捨てられてしまうのと、額装して飾ってくれるのでは、子どもに与える影響は全然違うと。

 

それを聴いて、確かに、そうだなと思いました。

 

自己肯定感を育む上で、「こういった言葉かけをするといいよ」ということもあってそれもとても大切なことだと思うのですが、自分が大切にしているものや、心を込めて作ったものを親などに一緒に大切にしてもらう経験というのは、なにものにも替え難いのではないかと感じました。

 

もちろん、その家の事情などもあるから、全ての作品を保管したり飾ったりはできないかもしれないけれど、何かひとつでも、そういったことができたらいいかもしれないなと、いいヒントをもらえた気がしました。

 

美術解説するぞーさんのインスタグラムのリンクと、第一回目のビジュラジオのリンクこちらです。

 

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美術解説するぞーさんのインスタグラム↓

https://www.instagram.com/bijutsukaisetsu.suruzo/?hl=ja

 

第一回目のビジュラジオ↓

https://www.instagram.com/tv/Ca2L-2-jbNH/?hl=ja

ご縁をいただいたアート作品

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少し前のnoteにも書いたのですが「アートのある暮らし」をしています🖼

 

note.com

 

杉田陽平さんの作品「the butterfly」と「The small vase」にご縁をいただき我が家に飾らせてもらっていますが、観る度に、すごく自由になったり、勇気をもらったりと本当に大好きだな、購入させてもらってよかったなと思います。

 

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また、昨年、お友達でアーティストの大野まみさんの作品「静かなる鼓動」にもご縁をいただきました。

個展に遊びに行って、ぜひお迎えしたいと思った作品。

観る度に、心で感じたまま行動しようって思えて心を整えてくれています。

 

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そして、今年の入ってからご縁をいただいた作品がもうひとつあるのです。

Twitterで偶然拝見しとても気に入り、ネットショップで購入させていただいた「ペンギンレモンソーダ」というPOLGLY(ポルグリ)さんというアーティストの方の作品です。

ポップで見ていると元気をもらえます。

POLGLY ART SHOP https://thebase.page.link/Hvzd

 

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部屋にお花を飾ることや素敵な食器で食事するよりも、合理的なものに目を向けがちだった私が、最近では、器も楽しむようになりました。そんな変化が自分でも不思議です。

 

気に入ったからと言ってアート作品はたくさん購入することはできないけれど、だからこそ、ご縁をいただいた作品とは長くお付き合いしたいし、作品を持たせてくださった作家さんたちのことを近くに感じながら、心から応援し続けたいと思っています。