涙と笑顔のあいだ

ひといちばい敏感な小学生ひとりっ子男子の子育てを通し、母として成長させてもらいながら「ライター・小説家」になる夢も諦めない40代主婦のブログ

『骨を弔う』を読んで

一年前の今頃は、私は、文章の教室で、フィクションを書く勉強をしていた。

 

フィクションを書く、と言っても、長編小説ではなく、あくまでも、原稿用紙15枚程度のショートストーリーだったけれど、それでも、頭を捻りながら、構想を考えて、週にひとつのペースで書いては提出していた。

 

「いいね!」と言ってもらえるものもあれば、「なんの盛り上がりもない」と突っ返されることもあった。

 

最初から、フィクション、物語を書くことを目的に、文章を習っていた訳ではなかったのだけれど、毎週書いていたら、ノンフィクションの面白そうなことは書き尽くしてしまい、恐る恐る、半ば、後ろ向きに挑戦することになったのだった。

 

いくつか書いて、私には、フィクションを書くことは向いていないかもしれないと思った時、生活のリズムも変わり、その文章の教室をやめた。

 

それから、数えるほどしかフィクションは書いていない。

 

また、いつか書いてみよう……。

 

そう思いながらも、日常に忙殺されて、フィクションを書くことが少しずつ過去のものになってきていた。そんな時に出合った、この小説だった。

 

『骨を弔う』 宇佐美まこと・著 小学館

 

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偶然立ち寄った、普段は行かない書店の店頭で、PRの動画を流しながら、猛烈に、勧められていた、この小説だった。

 

装丁と帯、そして、動画に心動かされて、思わず手に取り、衝動買いをした。

 

本を衝動買いすることは、時々、あるのだけれど、その種類は、ビジネス書や自己啓発本が多く、小説は滅多なことでは買わない。

 

それが、どうしても読んでみたくなったのだ。

 

2018年上半期最大の衝撃と感動
 骨格標本が発掘されたことを報じる地元紙の小さな記事を見つけた家具職人・豊は、数十年前の小学生時代、仲間数人で山中に骨格標本を埋めたことを思い出す。
 しかし、それは記事の発掘場所とは明らかに異なっていた。同時に、ある確かな手触りから「あれは本当に標本だったのか」との思いを抱いた豊は、今は都内で広告代理店に勤務する哲平に会いに行く。
 最初は訝しがっていた哲平も、ふと、記憶の底に淀んでいたあることを口にする。
 リーダー的存在だった骨格標本埋葬の発案者・真実子の消息はわからないまま、謎は思いも寄らぬ方向に傾斜していく。

 小学館のHPより

 

スルスルと読み進められた。

文章の教室で習った、読みやすさ、リーダビリティに優れていた。

キャラクター設定も、人物描写も、構成も、素晴らしかった。

展開も、謎が多く、惹きこまれた。

 

まとまった時間は取れなかったけれど、時間ができると、読みたくなり、すぐに読み終わった。

 

これか!

アドバイスを受けても、なかなか書けなかったことが、全てできていた小説に思える。

プロを捕まえて、そんな風にいうのは、おこがましいけれど、素晴らしい小説だった。

 

内容について書きたいが、ネタバレになってしまうことが心配なので、やめておく。

 

店頭で流れていたPR動画は、YouTubeでも見れたのでリンクを貼っておく。

 

全国の書店員さんが、ぜひ売りたいと思っている小説らしい。

 

謎解きミステリーだけでなく、人の後ろ暗さ、弱さ、そして、強さが見られる人間ドラマに溢れた、ある意味、家族小説とも言えるかもしれない。

 

読み進めるのがつらい部分もあるけれど、気になる方には、ぜひ、圧倒されてほしいなと思う。

 

自分が作り出した世界観で、人を楽しませることができる小説家という仕事は、やはり、魅力的だなと、改めて思った。

 

骨を弔う

骨を弔う

 

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気づきを重ねて、できるもの

どうして、あの頃、あんなにも、自信満々で、悟りきったように振舞っていたのだろう……。

 

小学生、中学生だった頃の私は、傲慢で、正義感を振りかざし、自分はとても正しいことをしていると思い込んでいた。

 

なぜ、大人たちは、何が正しいのかわかってるはずなのに、それをしないのだろう? と本気で思い、それを口にさえしていた。

 

あれから、大分、年月が経って、大人になった今ならわかる。

大人が、必ずしも、正しいことをしないことを。

 

正しいとわかっていても、できないことがあるんだ。

正しいことだけが正解ではないとわかってしまったからなんだ。

だけど、それが、わかったのがいつかは、よく覚えていないんだ。

 

もしも、あの頃の私に会うことができたら、今、私はなんと声をかけるだろうか?

 

うまく声をかけられるかどうか自信はない。

 

でも、そのまっすぐな気持ちは大切にしつつ、もう少し、もう少しだけ、人のことを許す人になってほしいと思う。

 

人を許すと共に、自分のことも許してほしいなって思う。

 

あ。

でも、あの頃、私の周りに居た大人たちは、苦笑いをしながら、小さな私を、温かく見守り、許してくれてたんだなぁ。

 

だから、私は、のびのびと生き、ゆっくりと、成長できたのかもしれない。

 

大人になったはずの今も、気づかないことだらけで、失敗ばかりしている。

 

だけど、立ち上がり、歩き続けられるのは、あの頃があったからだ。

 

気づくことで、成長できるのだとしたら、まだ私は成長できるかもしれない。

 

あの頃の私に、そして、周りの人たちに、ありがとうを言おう。

 

 

紹介した本を買い求めてくれたこと

昨日は、昔の職場の仲間たちと会う機会がありました。

 

大好きだった先輩が、退職され、関連会社に出向されるのを、お祝いする会でした。

 

久しぶりで最初こそ、少し構えましたが、いつのまにか、昔と同じような空気感でお話できました。

 

本当に楽しい一日でした。

 

一晩たち、嬉しい出来事が2つありました。

 

話の中で、ぜひ、この人にこの本を読んでほしいな! 読んでくれたら、きっと、何かしらいい影響があるんじゃないかな? って感じた瞬間が2回あり、ふたりの方にそれぞれおすすめしたのだけれど……。

 

今日、ふたりから、それぞれ、買ったよ! って連絡をもらいました!

 

いやー嬉しかったです!

 

読んだ先に素敵な時間が待っていることを、私もワクワクしながら、願います(^-^)

 

ちなみにそれらの本はこちら!

 

理由については、またの機会に!

 

 

こねてのばして

こねてのばして

 

 

 

HSCの子育てハッピーアドバイス HSC=ひといちばい敏感な子

HSCの子育てハッピーアドバイス HSC=ひといちばい敏感な子

 

 

 

先生が好きな理由!

私が所属しているPTAの卓球部の地域の試合が、もうすぐある。

 

週2回ある練習日、いつもはなんとか、1回は出てるけれど、今は、試合が近いので、頑張って2回出ている。

 

今日は、試合に出てくれる先生が練習に来てくれたから、お相手をしていただいた。

 

その先生は、運動会前の忙しい中、しかも、10日くらい前に、自転車で転んで負傷したのにも関わらず、人数の少ない私たちのチームのために来てくださったから、とても嬉しかった。

 

嬉しい理由は、それだけでなく、息子の昨年の担任の先生で、私も息子も大好きな先生だったからだ。

 

好きな理由はたくさんあるけれど、練習試合をしながら、そうだ! これだった! って、確信した。

 

試合にも関わらず、私が、サーブを打つと「ナイスサーブ」と言ってくれたり、「わー! すごい!」って褒めてくれるのだ。

私もすごく気持ちがよくなって、

「先生、私も、上手な方にお聞きした受け売りなんですが、『下回転の時は、ラケットを斜め45度にした方がよくて、横回転は、90度』だということです」

と説明した。

すると、先生は

「わー、そうなんですね! やってみます!」

と言って素直に試してみてくださって

「わー! 本当だ! 入りました!」

と喜んでいたので、私まで嬉しくなってしまった。

 

「すみません。20分だけしか練習できなくて」

申し訳なさそうにあっという間にお帰りになったのだけれど、「いやいや、20分しか時間を取れないほどお忙しい中、来てくださっただけで、ありがたいです!」って思った。

 

息子も、同じ校内に居ながらも、なかなか会えなくなってしまった、昨年の担任の先生に会えて嬉しそうだった。

けれど、本当は、もう少し話をしたかったようだった。

何を話したかったのか? 聞いたら、友達が増えたことと、どうにか頑張って過ごしていますということを話したかったようだった。

 

ああ、そうだよな。

誰もが、自分の話を、よく聞いてくれる人に、話したくなるよなって、当たり前のようで忘れがちなことを思い出させてもらった。

 

本当に、聞き上手で、褒め上手な先生!

今の先生は、少しタイプの違う先生なので、なんだかとても懐かしく感じた。

 

ああ、今年も……なんて、先生に会うと、つい思ってしまうけれど、クラスが変わっても、見守ってくださっている思いが伝わってくるから、それだけでも、よしとしないとな。

 

あと、先生と3回くらい練習するチャンスがあるはずだから、私も、負けずに、仲間のことを褒めようと思う。

初めてのカフェルンゴ

昨日、美容院に行ったと昨日のブログにも書いたのですが、その美容室の側のカフェで軽くランチをしました。

本屋に行ったのは、そのあとです。

 

えっと『セガフレード・ザネッティエスプレッソ』って有名なんですかね?

 

私、一応、東京人なんですが、初めて知りました!そして、入りました。

 

で、初めて「カフェルンゴ」っていうのを飲みました!

 

セガフレ、あ、『セガフレード・ザネッティエスプレッソ』というお店の名前を略してそういうらしいんですが、セガフレは、エスプレッソを中心的な商品としているけれども、お酒類も提供しているから、カフェ・バールという分類らしいです。

 

で、カフェルンゴっていうのは、エスプレッソとコーヒーの中間みたいな濃さだというので挑戦してみました。

 

飲んでみたら、確かに、濃いコーヒーでしたが、エスプレッソほど濃くはなかったです。

 

えっと、あと、そもそもなんですが、エスプレッソって、イタリアの人は、砂糖を入れるみたいですね。

 

私、エスプレッソって、ブラックで飲むんだと思っていました。

あー苦いとか言いながら……。

 

だから、それに準じて、カフェルンゴも砂糖なしで飲んでしまったんです。

ああ、ちょっと苦いなって思いながら……。

 

だから、パニーニは美味しかったんですが、実は、カフェルンゴの印象があんまりよくないんですよ。

あーあ、カッコつけないで、普通にカフェラテ頼んでおけばよかった。

カフェラテに、砂糖を入れて飲めばよかったなって思ったんです。

 

帰って来て、エスプレッソは、砂糖を入れていいんだ。いや、むしろ、入れて飲むものなんだと知って、呆然としました。

 

知らないって残酷ですね……。

 

でもね、いいんです。今度、エスプレッソや、カフェルンゴにたっぷり砂糖を入れて飲むという野望が生まれましたから。

 

知らないって、ちょっと心がヒリヒリするけれど、ワクワクのタネにもなりますから!

 

 

「たい」を尊重し、緩んだ財布の紐

3ヶ月前に、お気に入りの美容師さんが、転勤した。

 

5つ先の駅にある新しいお店まで、追いかけて行って、今日は、2回目のカットデーだった。

 

前回は、慌ただしく、その街を去ってしまったけれど、今回は、ちょっと時間もあったので、カフェでランチをし、見つけた本屋さんに入ってみた。

 

エスカレーターを降りた途端、平積みされた本のタイトルたちが、目に飛び込んできた!

え? こんな本あるんだ!

わー! 読んでみたい!

心を揺さぶられた。

 

1年ほど前から、ある本屋の事務を手伝わせてもらっているのだけれど、店舗間を移動する時間やバックヤードで働く時間の方が多いので、書店員としても、消費者としても、本と接する時間は、実はあまりない。

 

最近、せっかくなので、勤務時間が終了したあと、店舗をぐるっと回って気になった本を購入してはいるのだけれど、なかなかゆっくりと見て回る時間が少なかったのだ。

 

今日は、完全なる消費者として、どっぷり、立ち読み、あ、お見分けさせてもらった!

結果、衝動買いした!

 

選書がいいのか? たまたま、今日の私とフィーリングが合ったのかわからないけれど、本をたくさん買うのって気持ちがいいー!

 

知りたい!

真似してみたい!

世界観に使ってみたい!

学びたい!

 

4つの「たい」が、財布の紐を緩めた。

 

早速、読もうと思ったけれど、もうすぐ息子が帰ってくる!

 

家事やら、習い事の付き添いやらがあるけれど、隙間時間をぬって読むとしよう!

 

もしかしたら、積読本行きになるかもしれないが、それもご愛嬌。

 

私が働いている本屋も、来てくださるお客さまに、こんな幸せな気持ちを味わってもらえているならば、嬉しいなって思った!

 

やっぱり、本屋って、パワースポットだ!

 

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北海道に行っていた家族! 無事帰宅しました!

ブログの更新が遅れましたが、前回のブログを書いた翌日、家族と連絡が取れて、その日の夜遅く、東京に帰宅しました!

 

tearsmile24.hatenablog.com

 

お騒がせしました!

気にかけていただいた方、ありがとうございました。

 

心配しても、仕方がないと思いつつも、やはり、心配というのはしてしまうものですが、じゃあ、一瞬たりとも、心配していない時間がなかったのか? と問われるとそうではありません。

 

気にかかっていることは、この他にも多くありましたので、さまざまな作業の合間に、あ! 家族は無事かなぁ? うん! きっと無事だ! そう信じよう! と自問自答することが、一日に何度かあったという程度でした。

 

我ながら、ちょっと薄情だな……と思ってもいましたが、だからといって、ずっと、テレビの前に座って祈っていても、仕方がないので、日常を送りました。

 

実際に、親と電話が繋がったのは、夕方でした。

17時ごろだったと思います。

 

「もしもし? その後どう? 今どこ?」

「帯広」

「飛行機乗れそう?」

「うん。おそらく、飛ぶんじゃないかと思う」

「どこか観光とかしたの?」

昨日から聞きたかったけれど、不謹慎かと思って聞けなかったことを思い切って聞いてみました。

「うん。襟裳岬とか行ったよ」

「あ! そう!」

実はちょっと驚きました。

でも、なんだ、よかったとも思いました。

観光するほどの心の余裕があったことが嬉しかったのです。

 

で、その日の最終便で東京に帰ってきたのです。

 

そして、今回、このことを通して思いました。

 

心配はしてもいいけれど、必要以上にすることもないなって。

今、自分が、この場でできる範囲で、することをやり、あとは、祈ったり、信じて待つことしかができないんだなって。

そして、それでいいのかもしれないって。

 

いや、これは、無事帰ってきたから、そう思うのであって、もっとことが深刻だったら、そんなことは言ってられないかもしれません。

 

しかし、おそらく、人は、自分も含めて、思っているよりも、ずっと逞しいのではないかとも思ったのです。

そして、そのことを誇らしく思ったのです。

 

そして、やはり、一緒に住んでいなくても、家族は家族で、大切な存在だなって改めて思いました。